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12月8日 オレンジ・プランの教訓

プロフィールを補足する記事として書いてみました☆
『オレンジ・プラン(オレンジ計画)』を知った事は、私が歴史を色んな角度から学ぼうと思ったきっかけになりました。

1.オレンジ・プラン(オレンジ計画)とは 


結論を先に言いますと、【常に選択肢を持とう!】です。

少し先の未来のライフイベント(免許、転職、料理、旅行など)に必要なこと(選択肢)をピックアップし、それらに優先順位をつけて準備することが「ライフプラン」を考えるうえで大切なことだと思います。


さて、12/8は、日本人として忘れてはいけない日です。

1941年に「真珠湾攻撃」があった日です。

同時に太平洋戦争が開始された日でもあります。


日中戦争を終結できず、さらに日米交渉も失敗し、どん詰まりになった日本は『真珠湾攻撃(対米開戦)』と『東南アジア攻略(対英仏蘭開戦)』という誤った選択をしてしまいます。


ところで「オレンジ・プラン(オレンジ計画)」って聞いたことありますか?


そう、厚労省が進める「認知症施策推進総合戦略」、、、ではないです(そっちはそっちで重要です!)


「オレンジ・プラン」とは、日露戦争が終わった1920年代から、米国で研究がはじまった「対日戦争計画(オレンジ計画、オレンジ・プラン)」の俗称です。

計画立案を指示した当時の米大統領は、
セオドア・ルーズベルト氏です。のちの
フランクリン・ルーズベルト大統領の父です!
(何という因縁)


2.太平洋戦争開戦時の日米の認識の違い①~⑥ 


①戦略思想
日:なし(石原莞爾の『世界最終戦論』は支持されず)
米:海上権力史論(A・T・マハン)

②研究期間
日:1940年~1941年
米:1906年調査開始~1941年「統合戦争計画(レインボー・プラン)」に編入

③意思決定
日:大本営(陸海軍が別個に決定)
米:統合参謀本部(陸軍、海軍、海兵隊)

④戦争認識
日:単独決戦(日清・日露戦争の経験=敵主力の撃破)
米:総力戦(第1次大戦の参戦経験=敵国の破壊)

⑤作戦構想
日:漸減邀撃作戦(日本近海での艦隊決戦)
米:フィリピン救援作戦、初期占領地の奪回作戦、日本本土への反攻作戦

⑥戦力
日:海軍、一部陸軍
米:海軍、海兵隊、陸軍 


米国は、1942年よりもずっと前から日本を仮想敵国として研究を続けて、真珠湾攻撃を迎えたのです。

日本側でも日米開戦の是非は、太平洋戦争の直前に研究され、最終的に「米国には勝てない」という結果が出てました。それを描いたのが「昭和16年夏の敗戦」です。

真珠湾攻撃後は、まだ当時は厭戦気分の強かった米国民も、「自国の領土が奇襲された」と聞いては黙っていません。ルーズベルト政権が喧伝するままに戦時体制へ移行します。


3.「オレンジ・プラン」の計画過程を「ライフプラン」に活かす

恐るべきは、一部修正があったものの、日本軍の侵攻作戦と、米軍の反撃作戦は経過は、ほとんど「オレンジ・プラン」にて予測された範囲で進みました。

実際、日本軍同様に米軍内にも陸海軍の対立はあったようです。大統領によっては計画を無視したり、縮小したりながら、毎年更新され続けました。

このように「オレンジ・プラン」は完璧ではありませんが、「長期展望」と「情報収集」によって絶え間ない修正を続けたことで、かなり正確な予測と対策に成功しています。この過程は、私達も学べることがたくさんあると思います。


私達の人生において、「生老病死」「冠婚葬祭」は
必ず起きるライフイベントです。
長期を見据えて早めに情報収集し、じっくりと選択肢を準備したいものですね。常に選択肢を持っていることが重要だと思います!

そして、「新しい支援制度」や「誰にアドバイスを求めるのか」を毎年更新することで、安心に繋がる「ライフプラン」として磨かれてゆくのではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました♫


関連記事【79回目の鎮魂】 


参考書籍【オレンジ計画】 


参考書籍【昭和16年夏の】 


参考書籍【海上権力史論】

#教訓 #ライフプラン#長期展望#情報収集#計画





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