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もしも坂道の下から子供を乗せたママが自転車でのぼってきたら

男の家は、坂道の上にある。
その坂道は50メートルほど。
歩いてのぼるには問題ない。
ただ、自転車ではたぶんつらい。

家で仕事をしていると、ときどき外から

「マ〜マ、がんばれっ マ〜マ、がんばれっ」

という声が聞こえてくる。
おそらく子供を乗せたママが自転車をこいでいるのだ。

そして今日、男は出会ってしまった。


よく晴れた午後3時。
家を出て坂をおりはじめたその時、坂の下に自転車が現れたのだ。
自転車をこぐママの後ろには幼稚園児くらいの子供。

(なんかこれまずい)

男はイヤな予感がした。
50メートル下で坂をのぼりはじめた自転車。
その姿を眺めて気づいたからだ。

自転車にとってこの坂は山登りと同じなのだと。


山道は直線ではない。



自転車にとってこの坂道は、




山登りなのだ。

ここは自動車1台が通れるほどのせまい坂道。
男が絶妙なタイミングでおりなければ、

自転車のママに迷惑をかけてしまう。

(坂おりるのやめよっかな)

男は普段から問題が起きそうな場所に近づこうとしない。
事なかれ主義の人間なのだ。

男が遠回りの道へ行こうと思ったそのとき。
坂の上を見上げたママと一瞬目が合った、気がした。

(なんとなくもう・・・道を変えづらい)

男は覚悟を決めて坂をおりはじめる。

しかし。
思った以上に状況が困難であることに気づく。
自転車のくねくねリズムが一定していないのだ。

なんつーか・・・

グリンってなったりしてる。



うまくすれ違えるか不安を抱きながらも
「別に普通ですけど」
と平静を装いながら男は坂をおりつづける。

そういえば。
昔から男は歩行者とすれ違うのも得意ではなかった。
向かいからやってきた人と同じ方向によけてしまう。
さらにまた同じ方向によけてギロってにらまれて
「あぁごめんなさいぃぃひぃ」
みたいなことになるドンくさいやつなのだ。

男は坂を一歩一歩くだりながら必死で考える。
これからどうするべきかを。

A自転車の後ろを押してのぼるのを助ける
Bすれ違うときに歩きながら気の利いた一声をかける
Cすれ違う前に立ち止まって自転車が通りやすくする
D無言で歩いてすれ違いながらさりげなく自転車を優先する

そして一歩一歩結論を出す。

A→おそらく不審者すぎる
B→そんなセンスない
C→相手に心理的プレッシャー与えちゃう
D→無難だけどむずい・・・けど結局これだ!

そのとき、男にそもそもの疑問が浮かぶ。

(なんで自転車降りんのだ?)

しかし、すぐに思い直す。
自転車降りて幼い子供とやりとりするのが手間なのかもしれないしあえて坂道を自転車でのぼることで運動してるのかもしれないし「一度自転車でのぼりはじめたら途中で降りるわけにはいかない」というガッツがあるのかもしれない。とにかく何か理由があるはずだ。

男はさらにそもそも論が1つ浮かぶ。
しかし、その思いは胸にしまう。
今どうにかなる話ではないからだ。

男と自転車の距離はおよそ10メートル。
そろそろタイミングを合わせなければならない。

自転車のくねくねリズムは、最初よりさらに不安定になっている。
おそらく疲労だろう。

くねくねリズムが一定ならこっちも歩幅を調整して自転車が通りやすくしやすいけどただでさえ坂道で安定してないのに後ろに子供を乗せてて急にグリンってなったりときどき大回りしたりしててマジすれ違うタイミングむずいってか超大変そう。

男は軽くパニックになりながらも
「さりげなく自転車優先」
を忠実に実行しようとする。

ただ「パニック」と「さりげなく」は、すこぶる相性が悪い。
持ち前の「相手の方向に自分もよける能力」が発動しはじめる。

すれ違いまであと5メートル。

(さりげなく優先とかムリだわ)


男があきらめて立ち止まろうとしたそのとき。

ママが自転車を降り、手で押しながら歩いてのぼりだした。

そして子供に言ったのだ。

「はぁつかれちゃった」

その声は、むしろ男に何かを伝えるような口ぶりだった。

おそらく。

自転車をこぎながら、ママも感じ取っていたのだ。

男の気づかいと、ドンくささを。


男だけでなく、いや、むしろママのほうが余計に気をつかっていたのだ。

(申しわけないから何かひとこと言わなきゃ)

男はあわてて言葉を用意する。



そして。


ここで奇跡が起きる。

すれ違いざまにお互いに少し頭を下げながら

男とママは、ほぼ同時に、同じ言葉を発したのだ。



「すみません、でんどっ・・・はっ」



気まず恥ずかしいような共感できたような。


そんな苦笑いを浮かべながらすれ違う2人。

男とママが同時に言いかけた言葉。


それはおそらく、男がさっき胸にしまい込んだ思いだった。


「電動自転車ほしいですね」






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