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映画「女優霊」に関する考察

「女優霊」
[とんでもなく怖い]という人と、
[何が怖いのかわからない]という人に
極端に分かれる映画です。

でも、とにかく作りは丁重だし、
話もなかなか深いと私は感じているので、
とても好きなホラー作品の一つ
となっています。

そこで今回は
「女優霊」に関して
私の考察を語ってみようと思います。

「女優霊」はね、
登場するお化けが、
まず幽霊ではないという所が面白いんです。

あのお化けは何と言えばいいでしょう?
「穢れ」?
「悪霊」と言えばいいのか。

そう、悪霊という言葉は、東西問わず、
幽霊に限らない
精霊、悪魔、邪鬼、穢れ
の類を表す言葉なので、
まぁ、悪霊という分には
的を得ているかもしれません。

さて、私が思うに、
この作品には、スタッフ達が伝えたかった
二つの大きなテーマがあると思うのです。

一つは
「小さい頃に観た記憶があるのだけれど、
何の番組だったか未だにわからない」
という、誰にでもあるTVに関する体験
です。

ありますよね?
そういう事。

小さい頃、
TVで流れてる映画を観たんだけど、
あれって何の映画だったんだろう?
昔の事すぎて、もはや確認しようがない。

そういった誰にでもある体験を、
不気味に解釈してみせたのが
この作品だと私は思います。

そもそも妖怪というのは、
日常の中の
歪な部分から人間が生み出す怪異
です。

子供の頃に観たその映画が、
もし、公式には流されていない作品だったら?
自分の夢に過ぎなかったら?

街灯が照らす部分が
[人間の文明の領域]
なら、そこから外はです。

[街灯の光]とは、
つまり
我々が文明によって
把握、説明出来る事柄
の事
ですが、
それでも把握、掌握しきれない
[取りこぼし]
が現代社会でも当然あるわけです。

ネットで一番最初に
顔文字を始めた人は誰だろう?
この噂は一体、
誰から始まったのだろう?

噂の伝播をひたすら追求していく
民俗学もありますが、
いずれにしても、
この文明の只中でも、
究明できない領域

というのは確実に存在していて、
古来から人は、その暗闇の中に
を見たのではないでしょうか?
見えない領域(例えば背後の空間)は
魔物の領域だからです。

もう一つは、
古いスタジオ、
人の様々な想いの籠ってきた建物には、
知らないうちに
何かが染みつくものなのではないか?
というテーマです。

特に嘘の話を作る演劇などの場所には・・・。
これは、作中でも
「撮影所って、なんか怖いんだよな。
嘘の話を作っているからかな?」

と、主人公が語っていましたが、
この「嘘」が生む「穢れ」が、
この作品の主題なんじゃないでしょうか?

スティーブン・キング著の「シャイニング」でも、
幽霊ではないが、
大昔、悪い事が起こった場所には、
まるで染みの様に、
そうした悪いものの残りかすが散らばっていて、
そんな場所は、
往々にして我々に
不気味なものを見せるものだ、

と、語ってますね。
これもまた日本でいう
「穢れ」
の様な感覚なのかもしれません。

さて、
「嘘」が生む「穢れ」ですが、
演劇人達は「嘘の話」(つまり劇)の中で、
時には人を殺し、
時には怪異すらも演じます。
それ故に、どうも彼等には、
そういった事に対する
後ろめたさ
がある様なのですね。

「嘘」は現実になる
という迷信は昔からあります。
100物語をすると
100話目を語り終えた時に怪異が起こる。

というのは有名な話ですし、
四谷怪談自体は、ある程度は創作なのに、
役者達は必ず
公演前にお参りをすると言います。

「嘘」には、
「本物」がよってくる
という迷信があるのです。

つまり
[嘘でも悪い話をしていると、
悪しき物がよってくるよ]
と昔の人達は信じていたわけです。

中国の京劇には、
孟蘭節という
お盆の日に「客を入れない劇」
上演する風習があります。

これは、神や、霊達に、
劇を捧げる為の儀式です。
そもそも、古くは演劇とは、
シャーマン達によって行われる
神と精霊の物語を再現し、
神に捧げる儀式

でもあったわけですし、
こうした演劇と神秘との縁
当然なのかもしれません。

そして、この「女優霊」の作中に登場する
[事故が原因でお蔵入りになった
古い映画のストーリー]は
「親子が家の中で追いかけっこしていて、
母親は「いもしない女」を作り出し、
その「怖い女」を演じて、
子供を怖がらせて追いかけまわす」
というもの。
ここでも、「嘘の話」が登場します。

そして、この作品の撮影中に、
その「いもしない女」を、
実際に目撃した
というスタッフが続出し、
「いもしない女」が、
スタジオを歩き回りだした
という怪異が起こります。
それが「女優霊」の怪の発端なのです。

ある意味、犠牲者達に
「罪」があるとすれば、
それは
嘘の話を作った事
なのでしょう。

嘘の話が生み出した
「業」が怪異の正体なのです。

あとは「縁」というテーマもあるのかな?
と思います。
主人公の映画監督は、
小さい頃に、未放送でお蔵入りになっていた
この古い映画のフィルムを、
なぜか家のTVで観た記憶がある訳です。
そんな筈はないのに・・。

つまり、
これが[縁]というやつで、
[全てのこの世の出来事には
導かれた縁がある。
不条理に見えても、
全ての事柄は縁で繋がっている]
という仏教思想のごとく、
主人公は小さい頃に、
この悪霊の写っているフィルムを観ていた。
つまり、その頃から
彼の運命は決まっていた。
彼はその頃から業に捕まっていたのだ
とも解釈できますね。

この場合、[因]ではなく[縁]
しかも[悪縁]
彼に作用してしまっているわけです。

人間の幽霊ならば、
元人間なだけにドラマチックです。
例えば、
生前の恨みを晴らす為に化けて出た
とか、
被害者側にも何らかの罪があって、
わかりやすい復讐劇が
成り立っているのですが、
「女優霊」は幽霊ではないだけに、
怨恨が原因ではなくて、
運命が全面に出ているのも
面白い所だと思っています。

ある意味、日本というか、
アジアならではのテーマを
よく生かしていると思うんですよね。

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