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まずは自己紹介(更新途中)

このZINEのテーマにあたる「手仕事」と「サスティナビリティ」という
2つの関心ごとが私の中で生まれていった経緯について、まず、最初にお話しをしたい。色々な事項が人生に関連しすぎて整理しながら書いてみるも、えらく長くなってしまったのは、悪しからず。

小学生時代の織物と草木染めに関する自由研究

小学生といえば、自由研究。
類に漏れず毎年テーマを考えあぐねていた小学5年生の私が、苦し紛れに家の中を見回してみると、たまたま家にあったドイツ製の織り機が目に止まった。それは、シュタイナー教育などでも用いられる織り機で、子どもが気軽に手仕事に親しめるようにシンプルな構造に設計されたもの。説明書も見ずにいじれるシンプルさゆえに気に入っていた。

その織り機を使って、何かをしたいと思っていたら「庭の草花を使って糸を染めたら素敵だなあ」と天(母)の一声が降ってきた。そんな母の声にまんまと乗せられた小学生の私は、この研究がこれから長くながく続く事も知らずに研究を始めた。

図書館で下調べをしたあと、近所をぷらぷらをお散歩しながら、染まりそうな山葡萄、セイタカアダチ草を詰んで、煮立ててみた。草花特有の青臭い匂いに「うぷっと」となりながら、布と糸をさらさら茹でてみる。媒染剤のミョウバンなどを入れて、夏の日差しの中で干してみると、あっという間に真っ白だった羊の毛糸が、あわく優しい草花の色に染め上がっていた。その色のグラデーションがあまりに綺麗だったので、植物の色図鑑を作るつもりで、一色一色を織り機で織り込んでいき、ひと夏かけて一枚のタペストリーを作った。

次の年も、夏がやって来ると、今度は前の年の応用で草木染めに特化して染めの工程を集中的に研究をしてみた。正直、私は羊毛と織りの作業が好きでやっていたようで、あまりこちらの研究には身が入らなかったのだけど、媒染剤の違いで色が変わることがよく分かり、その後の紫キャベツの色の化学反応実験に自由研究はは繋がっていった。

母の囁き(笑)というサポートも受けながら、この織りと染めに出会って研究を進めるプロセスは、人類が最初に「織り」「染め」という技術を発見する流れとリンクしているような気がしている。その起源についてもいつかちゃんと調べてみたいのだけど、私が踏んで行ったプロセスと同じで、最初は簡易的な木でできた道具とそこら辺に生えていた草木から始まったんじゃないかなと思っている。

高校留学で1年間過ごしたフィンランドと羊飼いのお家での暮らし」

・高校留学で1年間過ごしたフィンランドと羊飼いのお家での暮らし。
→「その土地で育った草を食べた「羊」その毛を刈って衣服を作り、その土地の草木で染める人間、その羊と人間の排泄・廃棄したモノがまた土へ還る。そのサイクルの美しさに惚れ惚れとした(多分数学者が美しい方程式に感動するような感じ)

大学時代、英国湖水地方でのビアトリクスポターと再会
サスティナビリティについて考えはじめる

日本に帰ってきてから羊を探すも、日本にはそもそも原生しておらず。フィンランドのマザーには日本に帰ってからも「羊を探して研究をしてごらん」と言われたのに、いつまでも羊とのご縁は見つからず。この日本と云われている島における「羊」、「羊に代わるもの」って何だろうと、考えながら大学を過ごす。授業では興味のままに文化人類学や持続可能性の勉強をしながら考える。

ある時、「持続可能性」に関する授業があると聞いて、受講することにした。フィンランドから帰国直後に、応募した作文コンクールのテーマが「持続可能性について」フィンランドでの暮らしについて書いたのに見事に予選落ちした苦い思いがあったので、一度この言葉について学び直したくて、受講を決めた。

教授は女性冒険家として活躍する高野孝子先生で、授業を通して「持続可能性を考える上で大切な3本柱:環境・社会・経済」「公平と公正の違いについて」「地域教育の重要性」などサスティナビリティについて思考する上での必要な原則について学んだ。

その学期の最後、高野先生が主催する英国湖水地方のコロンビア大学と連携したスタディーツアーに参加した。湖水地方の地域をめぐって、持続可能性について考え・実践するという目的のものだったが、そこでビアトリクスポターの思想に再会をした。

ピーターラビットの作者として広く知られるビアトリクス・ポターは、小学生時代に伝記を読んでからいたく引かれた偉人だったのだけど、長らくその存在を忘れていた。けれどこのスタディーツアーで彼女が生涯を過ごした湖水地方を訪ね、彼女がキノコの研究からピーターラビットの絵本作家となり、最後は湖水地方の羊を育て、ナショナルトラスト活動に尽力をした理由がわかった気がした。彼女こそ、まだサスティナビリティという言葉が存在しない遥か100年以上前からサスティナビリティの考え方を体現して行動をした人だったのだ。この後から、彼女は私の人生のロールモデルとして君臨している(ビアトリクス・ポターについては書き始めると長くなるので別の回で詳しく書きたい)

ドイツ留学時代にローカルエコノミーについて考える

正直ドイツに留学を決めたのは、もちろんサスティナビリティとか環境学の本場で学びたいという大義名分があったのだけど、当時は「アート」とか「建築」に特に興味があったから欧州中の美術館をめぐるのに一番地理的に便利という打算的な理由があったことは否めない。

でも打算的選択が結果的に功を奏した。私が留学をしていた2016年当初、まだ世界はコロナ前で日本にはフランスの有名オーガニックスーパービオセボンが初出店した頃でまだまだ「ゼロウェスト生活」とか「」がどこかエクストリームな活動家がすることでしたない時代だった。だから当たり前のように環境のことを考えて、選択的な菜食主義の学生や、ゼロウェストにこだわって調理をする学生が当たり前のようにいるドイツでの暮らしはとても新鮮だった。ドイツのユーチューバーやインフルエンサーもプロフィールにPlastikfrei(ゼロプラスチック生活)などとハッシュタグが付けられ、あくまで、好みの服を着るかのごとく、自然に自分の倫理的価値観を示していた。

そして、彼らが目指す生活は、むしろ日本の方が資源も多く、実現しやすいのではと思い始めた。

祖父から昔の八王子での暮らしと蚕の話を聞き
卒業研究へ繋がっていく

①祖父から八王子での幼少期の暮らしとと生糸の話をきく
②祖父の話を元に文献調査をして「八王子織物」の存在とお蚕自体が羊である事を知る
③八王子郷土資料館の資料と、出会った方々の手引きによって調査を開始
④卒業研究として、環境・経済・社会というサスティナビリティの3本の視点から
 八王子織物と人々の暮らしを考察する。
⑤大学卒業後は、自由研究として考えたり、旅を続ける←現在

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