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考える

天気が良い日、散歩しながらよく考え事をする。
夜にする考え事は大体ドツボにハマって死にたくなるけど、
散歩しながらする考え事は少し前向きになれるから好きだ。
ここ数日ずっと考えていたのは、自分のコンプレックスについて。
私は友達が少ない。
少ないなりにも親友と呼べる友達がいて、少ない友達を大切にしていけば良いと思っているけど、
友達がたくさんいる人と比べてしまって落ち込んでしまうことがままある。


ある親友との関係が歪んでしまっているような気がして、ここ数年悩んでいた。
彼女にとって私は、安心材料の一つに過ぎないような気がして、
私に媚び諂っているような気がして、
その場では私も良い気になって偉そうなこと言ってしまったりするのだが、
別れた後になって後悔するということが増えた。
なんというか、彼女は私に支配されたがっている気がするのだ。
でも私は支配したくもされたくもない。
対等でいたい。
歪んでしまった関係を真っ直ぐに修正したくて、先日一石を投じてみた。
言った後は、清々しい気持ちだった。
なんせ数年モヤっていたし、やっと言えた!と思った。
けどだんだん、不安になってきた。
私が伝えたいことと違う捉え方をされていたらどうしよう。
私のことを嫌いになってしまったらどうしよう。
ただでさえ少ない友達がいなくなってしまったらどうしよう。


私は群れが苦手だ。
人が嫌いなわけではない。
そもそも群れ方を教わってない。
親も知り合いが多い方ではなかったしむしろ人付き合いを避けていたように思う。
多分、群れを苦痛としない人もいるのだろう。
群れの中で堂々と振る舞える人が羨ましい。
そういう人間になれたら、どれだけよかったか。
一匹狼と言ったら聞こえが良いけど、私はそんな格好いいものではない。

けど、友達が多い=人格者 というわけでもないと最近気づいた。
じゃあ私に足りないものって?
そもそも友達が多い方が幸せなんだろうか。
私が幸せと感じる瞬間。
天気が良い日。
草木を見ること。
可愛いお花を家に飾る。
美味しいものを食べた時。
気心知れた人とお酒を飲むこと。
昼間から飲むビール。
私が作ったご飯を好きな人と食べている時。
好きな音楽を聴いている時。
漫画を読んでいる時。
たわいもないことで笑っている時。

別に友達の多さが幸せに直結するわけではない。
なのに。
友達が多い人=偉い
友達が少ない人=だめ
な気がして度々落ち込む。
人と比べること自体無駄な行為ってわかってるのに。
友達が少ないことをコンプレックスに思う必要もないのに。
私は私なのに。
ありのままの自分を愛したいのに、26歳の私はまだその境地まで行けていない。


東京事変『生きる』
散歩しながら聴いていた。
なんだかいつもよりこの曲の意味がわかる、ような気がした。


噫 充たされないで、識らないで、追いかける影の美しさよ。
皆まで言うな。
憧れ続けていた筈の、孤独と自由が首を絞める。
なんてこの世は果てしないのだろう。



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