リュス・イリガライ「ミステリック」(翻訳)
リュス・イリガライ『他なる女性についての検視鏡』(Luce Irigaray, Speculum, de l'autre femme, Paris, Éditions de Minuit, 1974)第二部に含まれる「ミステリック(la mystérique)」の章(p. 238-252)の試訳です。書名は『鏡──他なる女性について』とも訳せるかと思います。スペキュラム(Speculum)は、膣や肛門・耳などの体腔──つまり通常は見えない/見ない身体部──を検査する際に使用される医療機器のこと。ラテン語speculumは「鏡」の意で、動詞specere「見る」に由来します。
mystériqueはイリガライによる造語と思われます。『霊と女たち』(インスクリプト、2009年)において杉浦勉が指摘するように、この語からは、「神秘/神秘主義(mystique)」、「神秘的(mystérieux)」、「ヒステリー的(hystérique)」といった言葉の響きを聴き取ることができるでしょう。わたしがこのテクストの存在を知ったのも杉浦の著書からです。
イリガライの原文にあたったのは今回が初めてなのですが、この種の「難解」な──たとえばラカンの──テクストを翻訳するとき、いつも次のようなことを思います。取り付く島もないフレーズに出会うと、そもそも訳語が思い浮かばないことはしばしばですが、それでいて、おおよその主張は理解できるからといって、あまりに分かりやす過ぎる訳語を充ててしまうなら、それは原文を殺してしまう所業に等しいものと思われます。原文はたしかに分かりにくい。そのため、分かりにくさをそのままに、破格的であることを見えるようにして、解像度を落とさずに、けれども日本語としてしっくりくるような言葉を編み出すのが、とても難しいのです(そんなテクストって、ほとんど詩ではないでしょうか)。
訳文は順次追加していきます。一日一段落くらいのペースで進めてゆく予定です。
「凸面鏡を手にとって、それを乾いた燃えやすい物質に近づけてみなさい。それから鏡を陽光にさらしてみなさい。太陽の熱と鏡の凸面によって、乾いた物質は火をたてて燃えることになるでしょう。」(ルースブルーク)
「女とは、魂におくることのできるもっとも高貴な言葉である。それは処女よりも高貴な言葉である。」(マイスター・エックハルト)
「わたしを神とするために、御言葉は肉となった。」(フォリーニョのアンジェラ)
いまだなお神-学的な、存在-神-学的な展望において、神秘的なディスクールあるいは神秘的な言語と呼ばれるものを、このように〔「ミステリック」という語によって〕指し示すことができるだろう。あの舞台の外、意識にとっては隠れている〔cryptique〕あの他の舞台を意味するために、意識にとってなおも必要な、いくつかの名。そうして指示されるのは、意識がもはやおのれを支配することのない場所、あの「暗夜〔nuit obscure〕」であり、しかしなおも、意識がこのうえない混乱に向かって沈んでゆくあの火、炎である。それは「彼女」が語る──あるいは彼が、「彼女」へ依拠しながら語る──場所である。「彼女」が語るのは、光の源泉──論理的に=論理によって抑圧された光源──によるめまいについてであり、「主体」と〈他者〉が、項として混同される灼熱(抱擁)〔embras(s)ement〕のなかで流出すること〔effusion〕についてであり、形式そのものの取り違えについてであり、知性がつくりだしながら、辛抱強く維持されるべきあの障害への不信についてであり、理性の荒涼とした乾きについてである。そしてまた、「燃ゆる鏡」についてである。この場所、西洋の歴史のなかで女が公的に語り、動く唯一の場所。そのうえ男性が、たとえ燃えてしまうとしても危険を賭してそこに赴こうとし、そこへ降り、聞き入れにやってくるのは、まさに彼女のため/女によってなのだ。えてして、男がかくなる過剰にまで進んだのは、まさに女を語るためであり、女たちに書くためであり、女たちに説教し、女たちの告白を聴くためなのである。頼みの綱を、ほとんど文彩程度のものでしかないあれらの隠喩という迂回を受け入れて〔訳者註:前文を受けて主語はl'hommeと思われるが、省略されている。この理由は以下で告げられる〕。彼女らの狂気を聴取するためにおのれの知を放棄して。彼女らを真似る、「彼女」のように享楽するふりをするという罠──プラトンならこう言うだろう──にはまって。もはや「主体=主語」としておのれを再び見出すこともなく、行きたいとも望まなかった場所へと連れてゆかれるがままになって。すなわち、あの異型、非場所、神秘におけるみずからの消失へと。その場所でひとは以下のことに、一般的な(ものについての)驚嘆によって、既に気づいていたことになるだろう──そこでは、もっとも知識に乏しく、もっとも無知な者たちが、もっとも雄弁であり、もっとも啓示について/啓示において豊かな者となる、ということに。そのような者たちとは、それゆえ、歴史的にいって女たちである。あるいは少なくとも、「女性的」なものである。
さて、どうすべきだろうか。地平はすでに限定されているのだから。そして「主体=主語」はいかようにであれ、彼女/自分自身への──反復された──回帰しか知ることのない、ある循環性のなかで〔地平の?〕規定をおこなうものとして定義されている。話す、見る、そして思考するもの、それゆえ、ほとんど監獄めいた自給自足状態のなかで、否認された影たちからなる明るみのなかで今や存在をみずからに付与するもの──彼──を、再び穿たねば(再び見いださねば)ならない。それゆえ、彼が今や閉じ込められているこの住まいを、夜の暗闇を〔終わりから始まりへと〕辿りなおし、形態やその他の(思弁的な)被覆が、あらゆる白熱〔incandescence〕の還元を技術的に遂行することによって眼差しから覆い隠したあの光明を、再び感じる〔re-sentir〕までにいたらねばならない。男を空腹に、渇いたままにさせておくもの。少なくとも時おり、少なくとも幾つかの場所で。なおも/もっと〔Encore〕。
しかし、眼はすでに理性の番人である以上、まずもって、見られることなく(見られる女となることなく)外に出てみなくてはならない。そのうえ、あまりに多くを見ることなく、である。哲学者の閉じた部屋、すべてを明晰に考えるために哲学者が閉じ困った思弁的な母体によって穴を穿たれ、盲目となった女。「魂」は彼女の外へと逃れ、彼女自身は、みずからへ(再)貫入するようなぽっかり空いた亀裂・穴〔antr'ouverture→イリガライの造語?〕をつくりあげる。囲いを設ける仕切り壁への外部からの侵入、内部/外部のあいだの区別/彼女の区別の侵犯。やがて彼女が自己を消失してしまう、あるいは少なくとも、(同じものとしての)彼女自身へのアイデンティティの確信が消え去るのを見ることになるか、という危険にさらされる脱-我〔Ex-stases=場所の外に立つこと〕。おそらくこうしたことは、いっときに生じるのではないだろう。彼女はすでに、いくつもの表象と包みのなかにいて、多様な外形や鎖のなかにいるのであって、それによって部分どうしを区別しながら一性へと再び導く、そのような支配のもとにあるのだから。彼女が固有の形態──あるは実体──において理想的にはそうであるようなものとの類似へと導くのである。このように彼女を枠のなかにとらえる論理から逃れるために彼女がなさねばならない歩みは、無ではない〔n'est pas rien〕。そのうえ彼女は、みずからがどこへ向かうかも知らないまま、方法もなく、闇のなかを歩んでゆかねばならないのだ。彼女の眼がなじんでいる明証性は、彼女が探し求めているものを隠してしまう。彼女の眼が再び歩いて回らねばならないのは、ほかならぬ彼女の眼差しの影なのだ。めまいへと向かう、なおも感覚可能な視覚、なおも太陽のものであるあらゆる視覚の夜。この星が自足的たることへの後悔を強いる、めまいへと。なおも夜であり、とりわけ、あらゆる理解可能な思弁の夜であり、あらゆる理論的な観照の夜であり、そうした夜は〈存在〉そのものを対象としている。そして、もしも男が、正しい視覚によってあらゆる身体の不透明さを逃れて光へ赴こうと考えるとしても、それが果たされるのは、はっきりと照らされ自己を告げる眼差しが男の隈〔cerne〕と男の裏側へなおも映し出す、あの夜のうちに再び沈み込んだおのれの欲望の激しさによってであろう。
かくなる夜の彷徨のうちに彼をじっと見据えるために、いったいどこへ向かえばよいのか。夜が突き刺しの光線となり、光り輝く闇となるまでに、夜のなか前に進むのでなければ。「魂」を、みずから〔=彼女〕の身体のなかで、みずからの放射〔irradiation〕のなかで神的に傷つける接触へと再び開いてみせる、一度のタッチのなかで。みずからは知らぬままとどまっている、密かにきらめくこの面〔nappe〕のなかで傷を負いながら。甘美な混乱のうちにおのれが(再び)燃え始めるその場所を(みずからを)彼女が判然と知ることはけっしてないということ。おのれの中心〔foyer=かまど〕のなかで、最初は知覚されないままに。彼女の苦痛、恐怖、叫び、涙と血を、ほかのいかなる感じる行為にもまして課してくる裂け目。猛火〔brasier〕となる前の傷。しかし、力において巧みな指さばきへと彼女が身をゆだねてしまっているならば、この責め苦への/のなかでの悦楽と渇望が既に〔存在する〕。すでに幾度も求めながらも、かように跡づけられた痕跡のなかで悲嘆に暮れ、すべてを先送りすることに耐えかねて。しかし、おのれが望むものをはっきりと言い表すことはできないまま。みずからが語る言葉のなかで意気を喪失して。あらゆるパロールに抵抗し、言いよどみながらでしか語ることのできない、一つの語りつづけることを予感しながら。意味のある仕方で翻訳できないほど、あらゆる言葉・項があまりに使用され、あるいはあまりに弱いものとなっているということ。というのも、何らかの規定可能な属性、何らかの本質の様態、何らかの現前の顔を希うことが、もはや問題ではないのだから。待望されているものは、これでもなく、あれでもなく、ここでも、あそこでもない。存在でもなく、時間でもなく、場所でもなく、指し示すことが可能なそういったものでもない。それゆえ、あらゆる言説をみずからに禁じるほうがよい。押し黙るか、ほとんど分節できずに一つの歌〔un chant〕となっている喚き声にとどまるか、のほうがよい。同時に、回帰を告げるあらゆるざわめき〔frémissement〕に耳をすまして。
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