ジョー・ブスケ『神秘/傷と出来事』

Joë Bousquet, Mystique, Paris, Gallimard, 1973[ジョー・ブスケ『傷と出来事』谷口清彦・右崎有希訳、河出書房新社、2013年]
邦訳を読んでの読書メモです。いいなと思ったフレーズをまとめてみます。

想像力を呼びさますために書くのではなく、想像力を休ませるために書くこと

ジョー・ブスケ『傷と出来事』谷口清彦・右崎有希訳、河出書房新社、2013年、9頁

詩が生の光ではなく、生の反映であるような、そうしたひとつの生を、私はつくりだすだろう。

『傷と出来事』、179頁

生を受け取るのではなく、生を与えることのできた者とともに埋葬されるにふさわしい者となれ。

『傷と出来事』、235頁

そのとき、ある人がわれわれにこう告げる。「どれほど有用な事物だろうと、人はそれなしで済ませられる。だが、人は詩なしには生きられない。」これはまぎれもない真実であり、ある者が一輪のバラのうちに、繊維だとか組織の結合以上のものを見出さないと口にするだけで、その者は監禁されてしまうだろう。詩の定義はひとつしかない。詩とは生を迎え入れるために人間がとりおこなう歓待である

『傷と出来事』、108-109頁。

君に禁じられた生を愛することによって君のためにつくりだされた生を愛すること。

『傷と出来事』、32頁。

これまで生きてきた生存の語法を学ぶこと。自分の生を、自分のためにではなく生のために生きること。/生がわれわれに与えてくれたものを、生に返さなければならないかのようである。つまり、生を創造すること、われわれが創造したその生を。

『傷と出来事』、136-137頁

言葉は、言葉それ自体が生をなす何かの啓示であってほしい。言葉は、みずからを取り巻く沈黙を、みずからの手で創出しなければならない。言葉は、言葉それ自体が唯一の光であるような感情や理念を翻訳するために生み出される。だが、言葉は何に突きあたることになるのか? 言葉それ自体によって終焉がもたらされる感情を持続させ、言葉それ自体によって意識の地平が切りひらかれてしまう新しさを維持させようと願うならば。

『傷と出来事』、32頁

生を権利を授けるのではなく、義務を命じる。生は、各人が行為によってその総額を返済しなければならない貸与金である。

『傷と出来事』、48頁

われわれは、みずからの生に耐える代わりに、みずからの生を創出する。生を愛すること。

『傷と出来事』、113頁

人間よ、よく覚えておけ。君はとるにたらない存在ではない。君は君という存在以外のすべてである。

『傷と出来事』、164頁

ひとりの人間の心のなかには、生それ自体のなか以上に、生のための場所がある。

『傷と出来事』、164頁

言葉とは、われわれの数ある行為のうちのひとつがわれわれ自身よりも持続することを可能にする能力のことである。

『傷と出来事』、18頁

詩は生まれるのではない。詩は産み出すのである。

『傷と出来事』、14頁

知性はわれわれのうちにはない。知性は出来事と事物のうちにある。したがって、自分の私利私欲に欺かれることなくそれらを理解するだけでよい。

『傷と出来事』、109頁

美をつくりだした者は、何が現実的かさえも分からない。

『傷と出来事』、10頁

理解するのではなく信じること。/思い出す代わりに、期待すること。

『傷と出来事』、212-213頁

人間と世界がともに創造された瞬間。そうした瞬間を愛するとき、人間は世界のヴィジョンである。人間は、みずからをこの世界の産物であると考え、世界の意識になりたいと願う。人間は、みずからの存在をつくった情況の魂でありたいと思う。警戒してかからねばならない。経験からその内実をとりのぞき、事物の物質的なアイデンティティを消去し、にせもののわれわれをわれわれに忍びこませる、ああした理念を。

『傷と出来事』、204頁

思考によって人称を乗り越えよう。自分でも知らないままにわれわれ自身であるところの者を、存在がおのずと捕獲するにまかせよう。実存に外的な何かを付加することは重要ではない。実存のうちに持続から解放されたひとつの自己のレジスタンスを感知することが重要なのである。

『傷と出来事』、223頁

人間はみずからを不可分なものにしなければならない。

『傷と出来事』、205頁

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