2020年の心残りはいちご大福
NHKの「グレーテルのかまど」で、パンドーロというイタリアの菓子パンが紹介されていた。年末になると国民は皆、これを家族で食べるのを楽しみにするという。ナントカ州で数年前、パンドーロの人気店が経営不振に陥ったことがあり、そのとき地元ピープルは、店をつぶすまいとこぞってパン屋に足を運び、ときには直接工場まで遠征して爆買いしたらしい。
そばで見ていた夫が「へー!あんぱんが生産危機に陥ったら、都民が銀座の木村家に集うみたいなこと?」とつぶやいていた。
ちょっと違う気がする…と思いながら、銀座というキーワードに引っ張られてわたしが考えていたのはまったく別のことだった。銀座といえば…そう…あれがあるじゃないか!
大角玉屋のいちご大福!
おおかど…?おおつの…?読めない…と何度もググっていたのは過去のわたし(おおすみが正しい)。今やもう、読み方はバッチリ、もちろん漢字も書けます。
いちご大福っておいしいよねぇ、とうっとり語る女友達が、高校にも大学にもいた。正直、わたしはその魅力をまったく理解できず、生のフルーツが入ってるなんて、気持ち悪いと思っていた。なんだかおばあちゃんの和菓子が無理矢理かわい子ぶってる感じ。食べるならふつうの大福でいいわ〜、と長年、いちご大福に手を出すことはなかったのである。
ところがあるとき、とあるデパートの催事で、ワゴンにひとつだけ残っていた大角玉屋のいちご大福と目があった。ぽつねんといるその子を家に連れて帰らなきゃいけないような気がして、なんとなくお買い上げ。しかし!これが!もう!予想をはるかに超えておいしかった。やわらかでもちもちしたおもち、人差し指ぶんはあろうかという立派な大粒いちご、その酸味、ゴロゴロした食感がしっかり残った黒豆…。それからあんこ。ホームページには粒あんと買いてあるし、食べたら誰でも粒あんだねと言うんだろうけれど、でも粒々しすぎてない。こしあん以上…粒あん未満みたいな…。宗教戦争が起こったら、どちら派も降伏せざるをえないような、そんな圧倒的な好感度。口内の幸福マリアージュ。
銀座に行くときはかならず大角玉屋に立ち寄って、いちご大福を買うのがわたしの慣例になった。一日しか日持ちしないから、1個しか買えない。本当にささやかなお楽しみ。
コロナで自由に外出できなくなって半年以上が経過した。銀ブラする人も減っているだろうけれど、大角玉屋、どうなっているだろう。イタリアのパン屋さんみたいに、潰れてしまう…なんてことがありませんように。ルミネやら阪急やらおしゃれスポットが林立するあの銀座エリアで、そこはかとない昭和感を放ちながら、これからもずーっと生き延びてほしい。2020年、ここのいちご大福を食べられずに終わってしまうことがめちゃくちゃつらくて心残りだ。来年は大手をふって買いに行きたいなーーー。