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わたしが体型から自由になれる日はいつ。柚木麻子「BUTTER」

もう一年以上も前だけれど、東京オリンピックの演出担当者が、渡辺直美さんを「豚」と表現していたことがニュースになった。

たしかに渡辺さんはBMIでいったら「肥満」だろう。でも、彼女は報道を受けて、「この体型で幸せです。」とコメントしていた。いいなー、かっこいいな、と思った。自分に自信があるんだろうな。

わたしはBMI19。ぜんぜん太ってない。むしろ痩せてるほう。このまえ測ったら、体脂肪率は19パーセントだった。そうは見えないけど、わりと筋肉あるほうなのかも。

妊婦だった二年半前、助産師から朝晩体重を測るように厳命され、ほとんどノイローゼだった。いまは気が向いたとき、月に数回体重計に乗る。ほとんど変化はない。でも500g減っていると東京の空気がおいしく感じられ、500g増えていると娘のなんでもないいたずらに舌打ちしそうになる。

ひさしぶりに会った友人がストレスで痩せこけていて、一瞬だれだかわからず声を失ったことがある。病気で死ぬ間際の祖父は骨ばかりになって、大声で部下を仕切っていたころは見る影もなかった。痩せるってべつにすばらしいことじゃない。わかっているのに、なぜこうも体重にこだわってしまうのか。

思いつくのは、母のこと。母は、義母(わたしにとって祖母)が大嫌いだった。「迎えにきて」と連絡したのに友人と帰宅してしまったり、突然家にやってきて「わたしにも夕飯おねがい~」とねだる祖母は、たしかにマイペースでわがままだった。母は、祖母を嫌うあまり、そのふっくらした体形に言及し「自己管理ができてない」「デブは諸悪の根源」としょっちゅう陰口を叩いていた。

母と父がいさかいをすることもあった。口達者でない母は、あとになって父への怒りをわたしにぶつけた。「あなたの祖母はデブ、あなたの父もデブ、あなたにはデブの遺伝子が組み込まれているんだよ」「あなただって油断すると太るんだからね。皆にデブって後ろ指さされるんだからね」

わたしはデブになりたくなかった。母に好かれたかった。

部活をやめさせ、ピアノを強制し、ありとあらゆる嗜好品を禁止し、勉強机の引きだしを漁る母に言いたいことはたくさんあった。ねえ、勝手に日記や手紙を見ないで。わたしの話を聞いて。このままのわたしじゃダメ?

そんなこと、こわくて口に出せなかった。

点と点を繋いで未来に向かっていくなんてまっぴらごめんだった。いつまでも点のままでいれば、しんどいわたしをだれかが見つけてくれるんじゃないかと思った。成長したくなくて、食べたくなかった。手作りの煮物を捨て、安い菓子パンを一気に食べて、胸やけで心の隙間を埋めようとした。でも、埋まらなかった。いまだに、誰かに「つらかったね」と優しくぎゅっと抱きしめてほしい。太りたくないのは、成熟しきらずに、どこかあのときに近い身体でいたいからかも。

試着するとたいてい「華奢ですね~!」と称賛をうける。「お子さん産んだとは思えないですね」と言われたこともある。マニュアルだってわかっている。でも、なんとなくうれしい。そこに深い思考は存在しない。細い人、というのは稼ぐ夫、とか燃費の良い車、とか、それだけで「イイ」と脳内で自動変換されるパワーワードだ。

太っている=ダメ、痩せている=スゴイ、という母からのすりこみや世間的な風潮、わたしは完全に内面化してしまっている…。

などということを柚木麻子『BUTTER』を読みながら考えた。

主人公は、もともと痩せ型。マスコミの仕事に忙しく、食べることにさして興味はない。しかしある事件の容疑者に接したことがきっかけで、「食」にのめりこむ。容疑者がみごとな語り口で話す、高級レストランのフルコース、老舗のケーキ、カロリーたっぷりのラーメン…。食べてみたくてたまらなくなり、あらゆるものに手をだし、体重は増加の一途をたどる。

親が子どもを食べさせるときと同じように、なにかを食べさせる・食べてもらうということは支配・被支配の関係を生み出す。主人公が、容疑者にからめとられてしまうのではないかとハラハラしながら読んだ。

主人公が七面鳥を焼いて、一人暮らしのマンションに友人らを招くラストシーンが印象的だった。液をつくって、浸して…。完成を想像しながら、何日も前からていねいに作業する。訪れた母親や同僚、仕事仲間らはみんな、歓声をあげ、つぎつぎに箸を伸ばす。

かたくなに生きてきたひとりの女性の、硬いつぼみのような部分がふくらんでいくように感じた。食べるということはただ栄養摂取することではない。かつての摂食障害を、お腹ではなくて心がすいていた、と表現したモデルさんがいた。そう、まさに食べるとはこころを満たすこと。豊かなことなのだ。親しい人たちとの優しさや交流で満たされれば、わたしたちはそのときには、体型から自由になれるのではないだろうか。

一昨日の深夜。終わらない仕事とにらめっこしていると、夫が「娘ちゃんのおやつ、試食してみて」とやってきた。ホットケーキミックスでつくった蒸しパンは、舌よりも記憶が喜んでいるような、素朴でやさしい味がした。

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