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自分のために生きるってなに?

1月下旬。産科での母性看護実習が終わり、臨床で指導にあたった教員との個人面談がありました。

なかなかクセの強い先生で、指導はそれなりに厳しいけれど、的確な助言をくれると評判の人です。ただ、彼女はこちらのプライベートな部分に平気で踏み込んでくるところもあって、HSPのわたしはこの人と話をするとかなり消耗します。実習中も、わたしが社会人入試で入ってきたこと、看護師になろうと思ったきっかけ、最終学歴と専攻、将来の計画、挙げ句の果てには婚姻の有無まで矢継ぎ早に質問を浴びせられました。わたしは小心者なので、全部の質問に律儀に答えてしまい、家に帰ってからそのやりとりを思い返して悶絶する羽目になりました。

先生との会話の中で引っかかる言葉があったので、ここで白黒つけようと思います。

豊かな人生を生きなさい

これです。豊かな人生を生きなさい。この言葉をくり返し言われました。どんな文脈で言われたかというと、卒業後の人生プランについて話していたときに、入学当初は国際看護活動を志望していたけれど、今は海外に行くつもりはないと発言したときに言われたんです。「20代で無理をしてきたから、これからは自分のために豊かな人生を生きなさい」と。

この言葉を耳にしたとき、豊かな人生ってなに? ちょっとなに言ってるかわかりませんけど。自分のために生きなさいって、これから看護師になって他人のために働こうとしている学生にかける言葉ですか? って思いました。

それからずっとこの言葉が引っかかっていたのだけど、最近になって思い当たることがありました。これはひょっとして、「いつものやつ」なんじゃないかと。

今から10年以上も前、わたしが最初の大学に在籍していたときのこと。英国の大学に留学願書を提出するにあたって、ゼミの教授に推薦状を書いてもらいました。依頼していた書類が届き、先生に「お忙しいところありがとうございました。留学先でも頑張ってきます!」とお礼のメールを送りました。教授から届いた返信には、こんなことが書かれていました。「わたしはあなたが頑張りすぎることが心配です」

はあ?「頑張りすぎることが心配」ってなに? 海外留学なのよ? 頑張るのが当然でしょう? なにを言ってるのかしら、この人は。

数ヶ月後、無事に入学許可が下り、意気揚々と渡英したわたし。大学の新学期が始まる前の1ヶ月間、留学生を対象とした集中講義を受けていたときのこと。担任の先生との個人面談で、学習の進捗状況や生活の困りごとなんかを話す機会がありました。何事もなく面談が終了し、部屋を出ようとしたら、先生から呼びとめられてこう言われました。「Rui, just relax!」

はあ? リラックスしろってなに? わたしは両親に高い学費を払ってもらってここにいるのよ? ガッツリ勉強して元をとらないといけないのに、リラックスしてる暇なんてないわよ。どいつもこいつも、わたしが一生懸命頑張ろうとしているときに、なんだって水を差すようなことを言うのかしら。

「あなたが頑張りすぎることが心配」、「リラックスして」、「豊かな人生を生きなさい」。どの言葉も真面目すぎるわたしに、少しは肩の力を抜きなさい、勉強したり努力したりすることばかりが人生ではない、仕事以外にも生きがいを見出しなさいと言っています。

そんなこと言われてもね。頑張って成果を出すことではじめて評価されるような教育を受けてきて、リラックスも豊かな人生もないだろうというのが本音です。それ以前に、先生の言う「豊かな人生」がなにを意味しているのかわたしにはわかりません。そもそも、人生が豊かだろうが貧しかろうが、わたしは生きること自体に疲れてしまったというのが本音です。

人生に意味は必要ないのかもしれない

思い返すと、生きるのに疲れたという感覚は今に始まったものではありません。思い出せる限りでいうと、最初に生への疲労感を感じたのは高校生のときです。進学校の勉強や教師の指導があまりにつらくて、気温が氷点下になる真冬に自宅のベランダで酒を飲んで横になり、凍死するという自殺のシナリオを最初に思いついたのも同じ頃です。生への疲れは大学生になっても断続的に続いて(ピークに達したのは就職活動のときでした)、社会人になるといったんは落ち着きを見せたものの、2度目の大学生活で「再発」しました。

おそらく、本当の意味でリラックスした、精神的に豊かな生活をしたことがないのだと思います。気がついたら比較や競争の只中にいて、常に気を張り詰めていなければならなかったから。誰かに足を引っ張られたり引っ張ったりしないように、いじめのターゲットにならないように、成績が悪くなって教師に目をつけられないように、親の機嫌を損ねないように、仕事ができないと思われないように、全方位に警戒網を張り巡らせなければならなかったから。

今のわたしに必要なのは、「豊かな人生」とか「充実した私生活」とか、人目を気にして人生に意味づけをすることではなくて、どうしたら途中で人生を強制終了することなく、自分のままで無理なく生きていけるか、生に対する基本姿勢を考え直すことなのかもしれません。

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