死は全く無くなることではないこと 言葉という栄養
死についてどう思う?って聞きたい。今日は気まぐれにタロットを引いたら死のカードが出てきて、そう問われてる気もした。
生まれ変わりの為の一時的な死、終わることは新しいスタートの為に必ず必要になる自然の摂理みたいなもの、恐れないで古い自分を脱ぎ捨てることで次の成長に向かう
自分の本当に大事なもの・守りたいもの・譲れないものを確認する
人の意見ではなく自分の価値観を大切にすること
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自分がこうしたい!こう生たい!が一番大切!
人に譲らないでね!自分の人生は自分のもの
誰のせいにもしない
全部自分で選んでそこにいるということ
自分のyes
自分のno
を大切にすること
嫌なものは嫌ということ
好きなものは大事にすること
当たり前のようだけどつい周りが気になったり
するかもしれないけど
何よりも「自分」が大切、自分を二の次に
人の為は人の為にならないし自己犠牲になる
空気を読んだり、誰かがそう言ったから、
親がこうしろというから、世間的にこうゆう意見が多いから、とか
どうでもよくて
自分の感覚で「これがいい」を選ぶこと
自分の意見を採用すること
なにより自分が一番満たされるよ
自分以外に自分を幸せにしてくれる人はいないよ
落ち葉が朽ちて木の栄養になるように、落ち葉=言葉、木=成長する自分、の栄養になるのかもしれない。
言葉から栄養をもらって成長してるのかもしれないなあ。
人の死、身体が朽ちて触れなくなっても、また一つのところに戻って新しい春のための準備、だと思えている。
痛いのは嫌だけど、なんとなく死については、いつか私も、誰にでも訪れる・迎える冬、と思っていて、あまり怖い・絶対に嫌だ!という感覚が薄い。
それは私が今、生きているって感じていて、小さな私でもちゃんと大きな世界の循環の一部になっていることを実感できているから、生きるも死ぬも同じ循環の中にて、一瞬の季節みたいに思えているからかも。
いつか来る死を恐れて守って動かないのも勿体無い、今の季節を全力で味わい尽くそう。
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