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生かされる

主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。
朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ/生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。
あなたがわたしたちを苦しめられた日々と/苦難に遭わされた年月を思って/わたしたちに喜びを返してください。
あなたの僕らが御業を仰ぎ/子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。                                                                                                 (詩編 90:13-16)

ああ本当に嫌だ。自分も、人も、自分のことしか考えていない。自分のいる場所、自分の仕事、自分のできるとわかっていることから出たくない。本当の自分の役割など誰もわからないのに、わかったふりをしている。

自分が一番正しいと思っていて、相手をそこに合わせようとする。結局、何もかもお金の話でしかないし、競争に勝った者だけが生きていける世界なのかもしれない。本当は、美しくないものの方が多いのに、そこは見ない約束になっている。

いかに自分は正しくないと思えるか。相手をどこまでゆるせるか。多様性をどこまで許容できるか。解決しないことを認めること。わからないことを認めること。自分ができることには限りがあることを認めること。そうしたことが大事な気がする。

共にいることと個の尊重は別々のようでいて、一体なのではないか。

どこまでも欠けだらけの人間にもかかわらず、今日も生かされ、たぶん明日も生かされる。無力感に耐えられなくなっても、生きねばならない。ただ、ひとりではない。なぜだか力が与えられる。明日もきっと生きられる。

2021.2.18


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