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このオッサンがかつて福山に住んでいたにしろ、福山シティFCをかなり熱心に応援するようになった大方の人にとっては取るに足らない理由(第101回天皇杯2回戦善戦に寄せて)

なぜ福山シティFCというサッカークラブを応援するようになったのか?
これはクラブが出すグッズのちょっとしたことも、このオッサンがサッカークラブを応援することに強く影響するという話です。とはいって書いては見たものの出来上がったものは余計な話てんこ盛りです(笑)。

自分は横浜生まれなのですが、物心ついた3歳時には福山にいて、横浜での記憶は真ん中が天まで吹き抜けで回廊みたいな廊下のある集合住宅に住んでいたような気がするという"うっすーーーい"記憶しかなかったため、人生の初期は福山で過ごしたと言っていい。
そこで14歳の夏休みまで生活をし、父の転勤で東京へ移り住むことになる。
その後、中学卒業後の春休みに、福山のときの友達が東京に遊びに来て、その帰りに便乗して、同じタイミングで東京に転校した友人と、一緒に三人で福山まで鈍行列車の乗り継ぎの旅をしたのが福山を訪れた最後である。
その後九州へは何度か縁があって出かけたのだが、空で行くにしろ鉄道を利用するにしろ、途中の福山へ寄ることなく、どんどん疎遠になり、いまでは当時の友達とも完全に関係がなくなってしまった。
もう離れて今年で40年である。

そんなオッサンがなぜ今になって遠く離れた福山シティFCを応援するようになったのか。きっかけはたまたま前身である福山SCがJリーグを目指して活動していることを知ったのが最初だと記憶している。

応援する理由その1、幼少時代に大変お世話になった人たちへの恩返しの代わり。
応援する理由その2、幼いころの淡い記憶からくる郷愁。

この2つは50歳まで生きてあとが見えてくるとなんとなく強くなるのはどなたにでも理解していただけるのではないだろうか。

応援する理由その3、決定的だった購入したキャップの色

そしてそれよりも、なによりも、決定的だったのは最初に購入した福山シティFCグッズのキャップの色だった。たかだか帽子の色なんだけど、それがサッカークラブが最初にグッズをリリースするときに選ぶような色じゃなくて、渋いグレー。それに小さめのFCのロゴ。
もうね、届いた瞬間、「このセンスなんじゃぁ!」とマジで衝撃を受けたよ。
だからその後、コロナの影響を受けてクラブが行ったクラウドファンディングには「こんな帽子を最初のグッズとして出してくるサッカークラブをなくしてたまるものか!」と内心思って、初期目標時とセカンドゴール時と2回ほど投資させていただきました。
その結果、みんな思うことは同じなんだなと安心した。クラウドファンディングで多くの方に支持されてることが分かってホントに安心しました。なにせ今住む横浜からはわからんもんで……。

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その後も、地域のための食事?のデリバリーの話を知ったり、県の天皇杯の予選や県のリーグ戦の結果を調べたり、福山シティは注目するサッカークラブに。
そして個人的には、中国新聞備後版という言葉。
竹ヶ端(運動公園は確かオッサンが小学5年の時に完成した)という福山市内の芦田川河口近くの地名。
俗称で鋼管病院と呼んでいた日本鋼管福山病院という名前(企業合併で日本鋼管という名前さえもはやなくなっているのに……)。
これらの懐かしいワードを再び見聞きすることになったのはすべて福山シティFCに関係する情報のおかげ。

そして昨年第100回天皇杯での躍進。ついにはこのオッサンが12月末の平日水曜日のナイターにユアテックスタジアムへ行っちゃったよ。

いつかコロナウイルスの騒ぎが収まったら、10日間くらい自由な時間を作って、ぜひ福山シティFCのホームゲームを見に行きたい。10日間あれば二つの週末に合わせて2試合くらいは見れるチャンスがあるだろう。
そして2つの試合の間の6日間はゆっくり子供の頃の記憶をたどるように福山の街を歩きまわり、こころゆくまでかつて住んでいた福山を楽しみたい。そうそう白ばらのレモンケーキ食べたい。それと大松模型店に鉄道模型でも眺め行くか。徳川のお好み焼きはどうだろう。そして福山シティFCのスポンサーとなっている店も回れるだろっ!

postscript:
最近になってわかってきたのは、グッズはどうやら岡本代表自らこだわって世に出しているらしい。
グッズ購入して送ってもらうと、必ず自筆のお礼の言葉を添えてくれる。そういう代表が率いているサッカークラブだからメチャクチャ応援したくなります。