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子供に本を読ませたらすごいことになった

私の娘は保育園に通っていた時、感受性が強すぎて他の子が泣いたら、同じように泣いてしまうような子供でした。

担当の保母さんから「同じように泣かれる上に、なかなか泣き止まず、困ります」と言われ、他の子と同じことができないことで、保育園側が困っていたのでしょう。

3歳になり、椅子に座っていられない娘を、他の子と同じことができるように訓練してほしいと言われ、発達支援センターに週に1回通っていた時期もありました。

当時、私はアロマサロンを開業したばかりで、娘の発育よりも仕事が優先。

お客様からの予約に対応しながら、娘と一緒に発達支援センターに通う私を見て、そこのスタッフは、

「子供のことより仕事が大事な母親」と白い目で、見られたのを覚えています。

私はその頃から、ずっと疑問に思っていた。

なぜ、娘が他の子と同じことができないことで、こんな風に、別の場所で、訓練までしないといけないのか。

この子の個性を、なぜ、周りの人は、「変な目」でみるのか。

3歳の頃の記憶を、娘は覚えているわけではないと想うのですが、この時、アロマ心理学でいう、『5つの心の傷』の最も強い傷である、侮辱の傷『マゾヒストの仮面』がしっかり芽生えたことが、振り返るとよくわかります。

娘は、この時から、嫌なことでもやらないと、人から変な目で見られるということを経験し、5歳くらいから、この傷を隠すために、

不正の傷『頑固な人の仮面』を作り、周りから変な目で見られないように、個性を消し、他人をしっかり観察し、人と同じようになろうとしていました。

13歳になった今、娘の心の傷は、私が魂の夜明けを迎えたことで、全体的に癒えはじめています。

なぜ、周りの大人は人と同じじゃない子を、「変な目」でみるの?

なぜ、日本には、個性的な子を「発達障害」という「障害」という言葉で傷つける文化があるの?

全て、持って生まれた心の傷によって生まれる「個性」なのに、それをなぜ、同調圧力によって、わざわざ、他人と同じ生き物に教育しようとするのか。

本日は、発達障害は、「障害」ではなく「個性」であり、新しい時代の準備をしてきた子供達が見せる社会への抵抗であるというお話とともに、娘に本を読ませたら、すごい子になったというお話をしていきたいと思います。

土地の時代を彩る明治から昭和の日本

歴史を遡ると、エレメントが火の時代「家柄と血筋が重要価値観」によって200年続いた徳川幕府が崩壊し、明治政府が発足。

土地の時代である「目に見えるものに価値がある」というエレメントの時代の価値観によって、鎖国していた日本が一気に海外に追いつこうと、海外の文化を取り入れ、日本独自の文化をどんどん、手放していきます。

その一つが、人口の増加。

江戸時代、明治民法により、「家制度」「家父長制度」というのが取り組まれ、妻の経済的自立と自由を奪い、「夫は外で仕事、妻は家事と育児」という夫婦の役割分担制が「あるべき夫婦の姿の模範」として確率していったのです。

この制度によって、日本人の人口を3000万人から一気に、1億人までに増やすことに成功。

日本政府は人口を増やすことに成功した上で、人と違うことは恥ずかしいという価値観を植え付け、個性を奪い、まるで機械のように同じ作業が永遠とできる国民へと教育したのです。

そのおかげで、日本人の精密さ、同じことを永遠と行う真面目さによって、高度成長期に急激に経済が成長。

今のように、量産型の機械が作られる前は、まるで機械のように同じことができる人間が重宝されていました。

そこから、200年の時を経て、現代は情報化社会。

量産型の機械がどんどん開発され、人間が手作業で、機械のように精密なものを作る必要がなくなり、

誰でも、ネット環境さえあれば、世界に自分の技術を販売することができる環境が整ったことで、

アメリカでは、個人事業主になる人が38%となり、3人に1人が「起業する」

それが当たり前の時代となったのです。

でも、未だ、日本は個性を消すための義務教育を続け、時代が変わっても、子供の個性を「障害」とみなす価値観が根強くあります。

エレメントが「風の時代」に変化したことで、「目に見えるものに価値がある」とされていた時代から、新型ウイルスの出現で、一気に情報化社会が進み、「目に見えないもの」への価値が高まっている。

その時代に合わせて、生まれてくる子供たちが、周りの同調圧力によって、個性を消されることに争い、必死で抵抗している姿を、日本の教育現場では、「発達障害」とみなし、他人と同じじゃない子供たちを苦しめているのです。

個性を消す社会

3歳の頃、娘は、保育園でみんなと一緒に椅子に座るのを嫌がり、大きな声で、泣いているような子でした。

『聖なる予言〜ジェームズ・レッド・フィールド著」によると、子供は、愛が欠乏している状態で生まれるため、充分な愛を与えるために、

子供1人につき、大人1人がマンツーマンとなって、子供自身がやりたいと思っていることをやらせ、疑問に思っていることに毎回、答えてあげる必要があると書かれています。

きっと、娘は今まで自由に遊んでいたのに、なぜ、遊びをやめて、他の子と同じように椅子に座るのか。

意味がわからなかったのだと思います。

理由がわからず、嫌なことをさせられるのに反抗するのは、子供の素直な態度です。

椅子に座るのを嫌がるのを、無理矢理座らせるのではなく、

「今から本を読むから椅子にみんなと椅子に座ろうね」と声をかけ、気持ちを落ち着かせてから、椅子に自ら座るように促す。

大人の心に余裕さえあれば、そんなに大変なことではないのです。

でも、保母さんの数は限られているし、他の子もいるのに、娘だけ特別扱いはできません。

今の社会的な仕組みでは、一人一人にかける時間は限られている。

子供の個性を消すことになっても、大人のいうことを聞く子の方が都合がいい。

だから、嫌なことに争う子供たちは、「障害」を持っていると認定されてしまうのです。

自分の意見を言う子じゃなかった

娘は2歳半まで「タッチ」「ママ」としか話せない子であったこともあり、言葉の発達が遅いことを心配したことで、クリニックで診断を勧められ、そこで「発達障害」と認定されてしまいました。

でも、だからと言って、私は娘を他と違う子だから、変な子と思ったことは一度もないし、主人にも「娘の前で言わないように」と

今までと変わらない態度で日常生活を送っていたのです。

でも、保育園から小学校に上がるときに、発達障害であることを学校に伝えておいた方が、意思の疎通がうまくいくだろうと言われ、

小学校に、娘が発達障害を持っていることを報告します。

すると、1年生から3年生まで、娘が何か、迷惑をかけているわけでもないのに、先生から「特別支援教室」へ行くことを進められるのです。

娘は、友達との付き合いも、とても上手で、トラブルを起こすような子じゃないのに、発達障害の子は、特別支援教室に行くのが当たり前的に、言われることに、私は腹をたて、

2年生の先生に、「2度と、娘を支援教室に入れることを進めないでほしい」と泣きながら訴えました。

それでも、3年生の1学期に、恐る恐る聞いてきたりする先生を見て、

日本の教師は、言われたことしかできないのかと、フラストレーションを抱えたこともあります。

そこから、どんどん、娘は周りの空気に敏感になり、人と自分は違うんだ、それは恥ずかしいことなんだという価値観をつけ、

不正の傷「頑固な人の仮面」を強めていきます。

不正の傷「頑固な人の仮面」

3歳から6歳までに活性する傷で、体型が『I型』

この傷の人は、真っ直ぐ姿勢が良すぎるほど良く、完璧主義。

人よりも優秀であることを見せつけるような態度をとります。

当時の娘は、侮辱の傷「マゾヒストの仮面」が強くあったため、人と違う自分を侮辱されたと感じ、自分は恥ずかしい人だと思っていたのだと思います。

それを隠すように、人よりもちゃんとしている人を演じ、クラスの中で、真面目な優等生を演じ始めたのです。

当時の友達からのメッセージには

「とても真面目でいつも騒いでいる人を注意してくれます」とか

「いつも周りのことを優先して行動してくれます」

などの言葉が綴られていました。

私は、これが私の娘?とびっくりしたのと同時に、娘が自分を正しい人、ちゃんとした人になろうとしているのだと思って、涙しました。

当時の私は、仕事ばかりして、家庭を顧みず、家族に向き合う時間を削り、夫と向き合うことから逃げていました。

そんな母親だったから、娘は自分の胸の内を話すことができなかったのでしょう。

最近、当時の辛さをお風呂で話してくれたのです。

「ママもパパも、家の雰囲気も悪いし、どこにも居場所がないって思ってた」

涙を堪え、私に話してくれた時、私だけが苦しい2020年だったと思っていたけど、同じように家族みんなが辛かったんだとそう思いました。

私は、子供たちに向き合えない理由を作り、ずっと家族という人間関係から逃げていたのだと、娘の辛さを思って、泣きました。

人前で自分の意見を言う

自分の意見を押し殺し、優等生になろうとしていた娘を、離婚し、子供に向き合う心の余裕を手に入れたことで、今、娘らしさを毎日、語り合う。

そんな親子になることができました。

最近、はじめたのは、『ユダヤの成功法則「タルムード」〜石角完爾著』に書かれている物語を読み、子供たちに感想を聞き、議論させるという習慣です。

娘は、この「タルムード」の小話が大好きで、自分で結論を導くことの重要性を知り、そこから自分の意見を言えるようになっていきました。

その成果なのか、最近、とっても嬉しい出来事があったのです。

私のお客様とお茶をしているところに、娘を連れて行ったのですが、そこで、娘が前日に読んだ本『なぜかうまくいく人の気遣い100の習慣〜藤本梨恵子著』を活用して、自分の意見を初めて会ったお客様に堂々と、話す姿を見ることができたのです。

学校で、最近クリスマスカードを作って友達に渡すという行事があったそうなのですが、その時に、ある男の子が友達に渡したカードが、その子らしくない作品だったと娘はいうのです。

「どんなカードだったの?」と聞くと

「その子は男の子で、工作でも不器用な作品しか作らない子なのに、そのカードはまるで大人が作ったみたいに完璧な仕上がりだったの」

娘は、これってもしかして、親が作ったのではないか?と、疑ったそうです。

そのカードを見た娘は、本書に書かれている内容と照らし合わせ、お客様にこう言います。

「私は、不器用でもいいからその人の愛情が詰まったカードの方が相手は喜ぶと感じたの。

もらう相手は、完璧さを求めているのではなく、その人の想いが詰まったものを求めている。

最近、読んだ本にも書かれていたけど、相手の立場になって考えて、そのカードをプレゼントしたのかなって想うと、いくら、作品が完璧でも、その子が作ったものではないものをもらって、感動するとは思えない。

自分の心に矢印が向いている人が、他者に良い影響を与えることはできない。

私は、不器用でも良いから、その子が頑張って作ったカードの方が良かったんじゃないかなって、そう思ったの」

初めて、娘が自分の意見を堂々と、初対面の人に伝えた瞬間でした。

本を読ませるってすごい!

お客様は、娘の意見を聞いて、

「中学校1年生って、こんなにちゃんとしてるの?すごいね!」

とたくさん褒めてくれました。

娘は、自分の意見を自分の心の中に留め、人を刺激しないように振る舞っていました。

でも、今は違う。

堂々と、自分はこう想うと、自分の意見を人前で、言える子になっていたのです。

娘がこんなにしっかり意見を言えるようになったのは、まさに、毎日の習慣に取り入れているユダヤ式教育である「タルムード」小話によるもの。

ユダヤ人は小さい頃からヘブライ聖書とタルムードを勉強し、母親が教師となり、何度も読み聞かせ、「あなたならどうする?」と問いかける教育をしています。

子供が答えに自ら辿り着くまで、「それはどうして?」と何度も問いかけ、子供に困難がきた時に、アイデアや工夫を導き出せるように訓練しているのです。

この教育によって、ユダヤの子供たちは、自然と「リスク分散」や「リスク・コントロール」を身につけ、

議論をすることによって、自分の意見をいうことに慣れ、自分の意思で生きることに自信を持てるようになります。

まだ、初めて1ヶ月も立っていないのですが、娘は、この習慣によって、自分の意見をいうことの大切さを知り、早速、実践し、素晴らしい経験をすることができたのです。

私は、娘を尊敬している。

誰だって、自分の意思で、自分の人生を歩みたい。

でも、社会の同調圧力によって、個性を消され、人と同じじゃないと、恥ずかしいという価値観を植え付けられ、大人になって、どんどん素直に生きれなくなっていく。

社会のせいでもない、全て、自分のせいで、自分の人生を自分らしく歩めないの。

娘よ、母はあなたを誇らしくおもう。

心の傷は、あらゆる知識と体験によって、癒すことができる。

学校の勉強ができる子よりも、本を読んで、自分らしく生きれる子供に育ってくれる方が、親孝行だよと、そう感じた1日でした。

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