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学ぶ、教わるということ。

自分がこれまでなんとなくやっていた部分、重きを置いてこなかったところも含めて、「基本」を学ぶということ。


着付け教室の第1回目が終わりました!

毎度同じ表現になってしまいますが、話しやすくて可愛らしくて、すごく素敵な先生でした。「授業っぽさ」と「女子会感」がほどよくあって、これから教わっていくのが楽しみになりました。

その一方で、久しぶりに「教えてもらう」という経験をして、認識したこともあって。端的に言えば、自分がこれまで適当にやってきた部分、重きを置いてないところも含めて、学んでいくんだなって感じたのです。

日々の仕事のなかでは、こちらが教える側になったり、ゴールだけ設定されていてやり方は任されていたり、ゴールも不明瞭ななか手探りであれこれ試してみたり。そういうことが増えているので、ゼロからきちっと教わる・学ぶっていうのは、こういうことだったな~と思い出しました。

学び方っていろいろあるとは思うんですが、着付け教室に関して言えば、自分で実験を繰り返して掴んでいくと言うより、すでに形作られているものを教わって、受け継ぐ(真似る)に近い感覚でした。

「やり方を全部教えてもらえるなんて丁寧だ」と言える半面、無駄とか非効率でもあると思いました。初回レッスンである今日の時点でもそう感じたのです。

でも、大事なのは「何を目的に学ぶか」です。以前のnoteにも書きましたが…

私の場合は「他装ができるようになるために教室に通う」です。トルソーを買って独学でやってみましたが、ぜんぜん上手くやれている気がしなくて。着せられはするものの、紐の締め具合がどうかとか着崩れないかなどは、トルソーではわかりません。変な癖をつけちゃう前に習った方がいいかもと思いました。

で、いろいろな教室を調べてお世話になるところを決めて。私の通うところでは、自装をマスターしてから他装を学べるようになります。「自装をマスター」の基準は試験をパスすること。そのために授業を受けます。

自力で着付けはできるし、地道にトルソーで練習すれば、独学でもなんとなかったかもしれない。でも私は、ここで学ぶと決めたのだ。郷に入りては郷に従え。最初から独学自己流よりも、基本を知った上で自分のやりやすいようにアレンジしていきたい気持ちもあります。先生もそれはおっしゃっていたから、押し付け感のある教え方をされているわけでもありません。

「ここで学ぶから」という以上に、「ここで認定試験を受けるのだから、そのためのやり方(この教室が最良としているやり方)を学ぶ」って感じです。ただ、試験で教室オリジナルのアイテムを使うから、同じ用途のものを自前で持っているのに「買った方がいいね」と言われました。強制ではないものの、なんだかモヤモヤ。

どこまでが「郷に従え」なのか。この教室に教わる、ここで学ぶと決めたから、無理のない範囲で郷に従ってはいきたい。モヤモヤしている部分に関しては、いつか私が「自分でもっているもので、自分が困らない範囲の着付けをする」を教える側になればいい。

今はまず、人に着付けられるようになるために。目的を忘れず、変に足踏みもせず、まっすぐ学び続けるのみです。

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