「大丈夫。地球上の半分は男だから」
もうへっちゃらだと思っていても、なんだかんだで思い出すことがある。10年以上も前になる、高校二年のバレンタインの記憶。
同じクラスのY君に、チョコレートを渡した。手作りの生チョコ3粒。受け取ってもらえたし、カードに書いておいたメアドにお礼のメールも届いた。
「受験前最後のバレンタインだから」と息巻く友人たちと一緒に、「じゃあ私もチョコ作ってみるか。あげるならY君かな」というテンションで渡したものだった。にも関わらず、受け取ってもらえたら嬉しくなったし、メールが来た時も舞い上がっていた。
でも、私は彼とほとんど話したことがなかった。
大人になった今思うと、いくらクラスメイトとは言え、ろくに話したこともない異性から手作りのチョコなんて気持ち悪かっただろう。本当にごめんなさい。もらう側の気持ちになれていなかったし、空気も読めていなかった。
だからこそだったと思う。「ピーターって俺のこと好きなの?笑」というからかい混じりの文章や「気持ち悪いからもう送ってこないで」というメールがきたのは。
「送ってこないで」が届いたのはバレンタインから数日後の放課後で、私は自分のクラスにいた。ショックは受けたけど、教室に他の生徒も居るなか、泣くとか取り乱すことはできなかった。
「なんて返事しよう……いや、しなくていいのか」
悶々としていたら、他のクラスの友人からメールがきた。「ピーターってY君とメールしてる? なんか今、うちのクラスでそういう話が盛り上がっていて…」と教えてもらい、その内容から分かったことがあった。
どうやらY君は、他の男子たちに私からのメールを見せたり、なんて返信するかを相談していたようだ。その結果が「気持ち悪いから」で始まるあのメールになったみたい。
Y君とはそれっきりだ。
確か卒業まで同じクラスだったと思うけど、特に会話をするとかいじめられるとかもなく、何事もなく卒業した。私は同窓会に出ていない(どころか誘われていない)ので、卒業後の彼がどうしているかは知らない。地元に残っている友人から聞いたことがあったような気もするけど…定かじゃない。きっと結婚して、子供も居たりするんだろう。
高校二年のバレンタインを思い出すと、ガっと恥ずかしさが込み上げてくる。仲が良かったわけでもないクラスメイトに手作りって……
その一方で、メールをもらえて嬉しかった気持ちとか、嬉しさから長文即レスしてた気がする後悔とか、これから仲良くなれるかな…なんて浮ついた気持ちとか。返信がなかなか来なくなって不安になったりもしたな。「俺のこと好き?」と聞かれてドキッともした。なんて返したかは覚えてないけど。
まさか、彼以外の男子が、私のメールを見ていたとか、私たちのやり取りを知っていたとは想像しなかった。いじられキャラだったから、携帯を「自ら渡した」のか「からかわれて奪われた」のかはわからない。
もう30歳も過ぎたいい大人なのに、今でも思い出すなんて。あげなきゃよかった。手作りにしなきゃよかった。メアド渡さなきゃ良かった。メールしなきゃよかった。浮かれなければよかった。こうやって何度もグズグズした気持ちを味わっている。
だけどもうこれって、解消しようがないんだよな
どうしたらこの気持ちが成仏するのか分からない。きっとY君に謝られてもそんなにスッキリしないと思う。なかったことにしたくても、完全に忘れるって無理で。
バレンタインの度に思い返しちゃって苦い思いをして、笑い話にするか自分の中で封印するしかなくて。20代前半は飲みの肴にしていたな。でも、最近は色んな意味で恥ずかしさが勝っちゃって、誰かに話したりはしなくなった。
例えば大人になった今Y君に再会して、謝っても、謝られても、すごく傷付いた/トラウマになったと泣きわめいても、今の私は東京でバリバリ働いているんだから!と謎にマウントを取っても、スカッとはしない気がする。そもそも、こうやって何年も覚えていること自体も気持ち悪いし癪だ……
けど。それよりも、だ。
高校二年のバレンタインには、実は後日談的なものがある。Y君が男子たちに私のメールを見せていたと分かった日、雪が積もっていたこともあって、私は母に車で迎えに来てもらっていた。
恥ずかしいやら悲しいやら悔しいやらで感情がぐしゃぐしゃだった私は、車に乗った途端泣いてしまった。驚く母に経緯を話すと、柄にもなく母はこんなことを言ってくれた。
大丈夫。地球上の半分は男だから。
Y君だけが男じゃない。だから気にするな、と。この言葉に救われた。10代や20代前半の頃は、この言葉を不意に思い出しては元気づけられていた。
Y君のことを考えるより、この言葉をよく覚えておこう。バレンタインの度に思い出すのは、こっちがいい。そしていつか、私もこんな言葉をかけられる大人になろう。
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