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まっさらな状態で世界を見たら、こう映るのか――映画「哀れなるものたち」を観て

X(旧Twitter)で話題になっていたのをきっかけに、映画「哀れなるものたち」を観てきました。

※以降、ネタバレは含まないつもりですが、先入観ナシで映画を観たい方はご注意ください。



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「すんごいものを観たな」というのが、第一でした。

一体どうやってこんな物語を思いついて、この形での映像化にたどり着いたのか。ディレクションする側も表現する役者陣も、本当にすごかった。とんでもない映画だった。もちろん良い意味で。使われている技術が新しいとかそういう次元でなく、表現の限界をギリギリ攻めて(なんならぶっちぎって)いるようにも感じました。

正直、観終わった後に「あのシーンはこうで、これはこうなるための伏線で…」みたいな感想は出てきませんでした。解釈が難しいというか、解釈しようとすることが無謀に思えました…。それでも、感じ取れたことはないか――と思考を探ったら、少しだけ言葉にできました。

私が常識だと思っていることって、ただ刷り込まれているだけで、自分で感じたり考えたり、選んでいるものではないんだよな。誰かによって作られたものでしかない。

誰かが作った「常識」を知らずに育ったら、ベラのように自由でめちゃくちゃな生き方になる。でも、既成概念にとらわれない自由さは無知でもあって、それを自覚した時、無知な自分に激しく後悔したり恥ずかしくなったり悲しくなったりするんだな…。

これって、人の成長過程だ。子供が大人になっていくときに、「自分が知っている世界だけが全てじゃない」と知って、そこに興味が湧いたり、絶望的な気持ちになったりする。その様子を、主人公のベラを通して体感したのだ。

「こうでなきゃ」から外れることは、そんなにいけないことなのか。
常識って、そんなに大切なのか。

と書いたことは、劇中のBGMにも現れていました。

すごく不気味で、不安とか不快になるような音の使われた方が多いと思いました。でもこれって、「映画のBGMは綺麗なメロディラインや和音が使われていて当然」と思っているから、そうじゃないものを不快に感じるだけなのかなと。綺麗なハーモニーの綺麗な旋律以外、映画のBGMに使ってはいけないなんてこと、ないはずなのに。

あと、衣装もとても奇抜で印象的でした。ざっくり言えば、全部素敵で可愛かったのです。これまた「どうやってこんな衣装思いつくんだ…」と思えるような造形のものが多かったです。

衣装について、「装苑」で特集されていたり、渋谷PARCOで特別展示もやっているそうなので、そちらもチェックしたいところ。映画を観た足で、渋谷PARCOも行けばよかった・・・!(帰宅してから知った)


…で、この映画って、どんなメッセージが込められていたんだろう。観客として、何を受け取るべきだったんだろう。監督や演者たちはどんな思いで作品づくりに取り組んだろう……それらが気になりすぎて、久しぶりにパンフレットまで買いました。観て楽しいだけでなく、仕掛けや裏側も知りたいとは思った映画は久しぶりです。

各人のインタビューが読めて楽しかったのですが、私が求めていたような「この映画は●●な映画」みたいな表現は見当たらず。これもやっぱり、「自分が感じたように解釈すれば良い」という、この映画からのメッセージだったりするのかなと思いました。原作小説も読んでみます。


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