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あなたは余命1年だった場合どうしますか?

ある医者から、「あなたは余命1年」と宣告されました。

あなたはどうしますか?

僕自身も、この事について考えた時期がありました。

僕は、女性向けサービスを運営するIT企業の経営をしていて、会社は16期目。かつては日々の売上だけを考え、忙しさに忙殺されていました。

自分の余命なんか、全く考えて生きていませんでした。

■父への余命宣告で気付いたこと

僕の父に対して余命宣告をされたことがありました。

余命宣告は、僕を含む父以外の家族に伝えられました。

伝えられた内容は、余命半年から1年、そしてステージⅣの末期ガン。

唖然としました。

いろんな感情と衝撃が、僕に襲いかかりました。

訳が分からなくなりました。

少し時間が経過し、自分に冷静さを取り戻した時に気付いたことがありました。

「父も余命宣告を受けているが、自分自身も明日死ぬかもしれない。いやガンであれば来年死ぬということはあるかもしれない。」

そう、僕を含め「すべての命の時間は有限」だということを。

そして「すべての命は見えない余命宣告をいつも受けている」だということを。

普段、生活していると、多くの人が死ということをつい忘れてしまっているのではないかと思う。

我々の命の時間は有限なのです。

魂は不滅かもしれないが、肉体としての命の時間は有限なのである。

■『命の時間は有限』という意識の強い覚醒

余命宣告をうけてから1年2ヶ月後、2011年2月に父は他界しました。

父の葬儀を終え、自分の見えない余命について真剣に考えるようになりました。

そして、東日本大震災が2011年3月11日に発生しました。

突然の天変地異による多くの犠牲者を目の当たりにして、『命の時間は有限』という意識がさらに高まりました。

■自分が『余命1年』だとしたらどうするのか?

見えない自分の与えられた命の時間を利用して、僕はどう生きるのか真剣に考えるようになりました。

余命1年だと言われた場合、自分は何をしたいのか?

ノートに書いていきました。

ちなみに自分の余命1年の場合の行動リストは

・子供と家族にビデオメッセージを20年分作る

・半年かけて会社と家族が困らないように仕組みを考える

・経営の引き継ぎをする

・自分の遺したいことをブログに書き、1冊の書籍にする

・御世話になった人に直筆で手紙を書く

・数ヶ月間、家族と思い出の場所を巡り、旅行しながら最後の時間を過ごす

というものでした。

自分の書き出した余命1年の行動リストを眺めてみて、時間がないとこうなるのだなと、不完全燃焼さを感じました。

余命1年じゃないとしたらどうするのか?

逆に100年の余命があったとしたらどうするのかも考えてみました。

余命100年と余命1年のリストを見比べて、自分本当に何をしたいかのだろうと思いはじめました。

■自分は何をしたいか?

自分は何を本当はしたいのか?

書いていくうちに、本当の自分(価値観)がみえてきました。

「家族の幸せ」

「スタッフの幸せ」

「大事な人の幸せ」

「女性の幸せ」

「できるだけ多くの人を助けたい」

「できるだけ多くの人を喜ばせたい」

「できるだけ多くの人を幸せにしたい」

「自分の幸せ」

そして、最も中心に位置していたのが「心の幸せ」でした。

本当の自分があぶり出されてきました。

余命1年では出来ないが、もっと余命があるとするならば、自分の残りの人生をかけた計画を真剣に考えようという欲がではじめてきました。

■自分の人生のミッションとは?

人生の計画といっても、先に行き先を決めないといけない。

行き先が決まって、そこに向かって歩いていくことができる。

「あ、そうだ!自分の人生のミッションを考えよう!!!」と思いはじめました。

三省堂の辞書で調べると、

ミッション(mission)とは「任務や使命」のこと。
この「任務や使命」には、大きく分けて三つの要素が含まれます。
まず第 1 に「到達すべき目標がある」こと。
第 2 に「目標に進んでいく行動がある」こと。
そして第 3 に「それらが何かに求められていること」です。

自分に何が求められているのか??

何気に自分の名前の意味は何なのかと思いはじめました。

親は想いをこめて、子供の名前をつけます。

亡くなった父親がつけた名前の意味は?

何かヒントがあるようにおもいはじめました。

自分の名前の「晋助」の文字の意味をそれぞれ調べてみると、

晋⇒「晋」の古字は、「晉」と記し、これは、日という字の上に至の字が二つ並んで、『日が出て万物が進む』という意味だそうです。もう少し現代風な言葉だと、日が地上に出て気温が高まり万物がいきいきする状態、ということを意味しているそうです。

助⇒助の右半分が「台上に神へのいけにえを積み重ねた」象形と、助の左半分が「力強い腕」の象形から、力を積み重ねて「たすける」を意味するそうです。

自分の独自解釈としては、

『自分自身が太陽のように世の中を照らし、あらゆる人々がいきいきするように助ける

「これがミッションだ!」とかなり腹落ちした自分がいました。

魂と共鳴した不思議な瞬間でした。

■本当の自分がみえたうれしさ

本当の自分が理解するということは、本当に難しいです。

でも、自分の心(魂)と対話するということは、意外とやっていないものです。

なんとなく、人から引かれたレールにのって進んでいく人生で、気付いたら余命を宣告され、時遅しで後悔ばかり。

でも実は、本当の自分については、自分の心(魂)がよくわかっているものだと僕はおもいます。

自分の心(魂)と対話できるようになれば、自分の存在の役割が見える瞬間が必ずあります。

■すべての存在するものには役割がある

最近発見したことがあります。

自然(ネイチャー)についてです。

自然宇宙

宇宙の一部が地球

地球の一部が、木々

そして地球の一部が人間です。

つまり自然人間なのです。

すべての自然の流れに逆らわずに動いています。

自然の流れに反すると、苦しみ、悲しみというマイナスのエネルギーが生まれます。

自然の流れを感じ、調和していくと、プラスのエネルギーが生まれ、上手くいきます。

自分を高め、自然と対話、つまり自然体の自分と対話できるようにしていくと、自然の流れを感じられるようになれると最近はおもいます。

葉や砂も自然の中に役割があります。

人間も同じように1人1人役割があります。

その自然の流れに準じた役割が本当の自分だと最近感じます。

自然の役割には大きい、小さいはありません。

自然の役割を理解できた瞬間が、この上ない幸せをもたらすと僕は考えます。

こうして僕は、自然な自分の役割に気づき、ぼんやりとレールに乗って生きていた頃とは全く違う、迷いのない、後悔のない日々をすごすことになったのです。




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