鮎川信夫のモダニズム批判
鮎川信夫(1920-1986)は第二次世界大戦後の日本における---いわゆる「戦後詩」と呼ばれる---最も有名と言っていいであろう詩人グループ「荒地派」の代表的詩人でありスポークスマンでした。
彼もまたヒュームやエリオットから強い影響を受け、春山行夫等が編者であった詩誌『新領土』にも参加していますが、戦後は一転してモダニズムを批判する側に回りました。
鮎川は「現実の生に対する源泉的感情を失ったところに、優れた作品が生まれるわけがない」(「現代詩とは何か」)と書いて、春山行夫を始めとする戦前のモダニズムをサロン趣味的、末梢感覚的なものにすぎないとして葬り去ってしまいました。
鮎川は、日本のシュルレアリスト(モダニスト)の表現方法について、「『異質のもの、あるいは異質の<観念>の暴力的結合』であり、そこには<秩序>の意識が全く」なく、「異質なもの、あるいは異質の『観念』を同時的平面的に並置しただけの、一種の型(パターン)があるだけなのです」と批判を加えています。
この鮎川の指摘に対して、北川透は著書『詩的レトリック』の中で、遠く隔たったもの同士の偶然の接近が、互いの電位差により火花を散らし、その火花の美しさでそのイメージの価値は決まるという、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」のコトバを引きながら、「しかし、シュールレアリスムにおいて、意味規範が意識的にこわされていても、そこにイメージが創出されていれば、<秩序>の意識がないのではなく、『新しい価値』に貫かれた<秩序>がある、と考えなければならない」として次のように述べます。
この鮎川(および荒地派の詩人たちが共有していたと考えられる詩観)に対する北川透の批判は極めて正当なものであるとして、ぼくの納得できるものなのですが、同時にあまりにも当たりまえであることに驚きます。
いったい鮎川信夫や他の荒地派の詩人たち、たとえば吉本隆明のようなアタマのいいひとたちが、この程度のことに思い至らなかった原因はなんだったのでしょうか。
「今日の詩人は心で風景をさえぎ」る、批評意識を持たねばならないと言う一方で、鮎川は次のようにも言います。
鮎川は「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する」とここでは言っています。しかし、「風景を愛撫する」ということと、「風景をさえぎ」る、という厳しい「批評的精神」がどのように両立するのでしょうか?
荒地派、ひいては戦後詩を代表するスポークスマンであった鮎川信夫ですが、その論の進め方に、ぼくの悪いアタマは混乱を起こすばかりです。
鮎川信夫のこの文章について、寺山修司(1935-1983)は「疑似悲劇的」表現のなかで「自分を愛撫している」のが鮎川を始めとする荒地派や戦後詩の書き手である、と言います。
「…自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎないことに醒めようとはしないのだろうか」という部分を読んでぼくが思い出すのは、マーシャル・マクルーハンの『メディア論』のなかのギリシアのナルキッソス神話に関する考察です。
マクルーハンはここで、ナルキッソスが泉に映った「自分自身」に恋をした、というような通俗的解釈を退け、彼は、水に映った自分自身のイメージを「他人と見まちがえ」て、その姿に魅せられてしまう。このときナルキッソスはじぶんを見失ってしまった。そのショックが彼の知覚の麻痺を誘発し、水仙と化してしまうのだ、と述べています。
戦後詩=意味の荒地
マクルーハンの言う、自己を映し出し拡張するメディア(詩人の場合はコトバ)を、自己の感覚の延長としてとらえる、という点で鮎川たち荒地派の詩人には大きな欠落があったのではないでしょうか。
荒地派はモダニズムの無意味無内容性を批判して「意味の回復」を強調するあまり、実験を重ねることでコトバそのものの密度を高めていく二十世紀の詩の革新運動からは大きく後退して、「批評性」「思想性」というようなコトバの全体性からは切り取られ限られた一面、どちらかというと散文的働きの方に傾倒していってしまったように思います。
荒地派の詩人たちのコトバの感覚麻痺がいかに重症であったかは、彼らが非常に「隠喩」というものを偏愛したことにも表れているのではないでしょうか。
荒地派はヒュームの言う「新鮮な比喩」の創造を詩人の特権的な能力として極度に強調し、彼らの詩の方法のカナメとしたのです。
片桐ユズルは詩論集『詩のことばと日常のことば』(思潮社)のなかで、荒地派の吉本隆明の「審判」という詩について、「あまりにも自分の表現方法を発明しようとして骨折り損をしている。マチガッタ努力をしてコトバをへとへとに疲れさせている。それよりもコトバ自身の伸びようとする法則を発見し、その線にそって助けてやるだけでよい」と言い、その詩が隠喩へののめりこみによって、コトバの病いに陥っていってしまっていることを批判しています。
荒地派のコトバの病いは『Xへの献辞』というエッセイにもあらわれているようにぼくは感じます。
『Xへの献辞』は「現代は荒地である」という一節で知られた、荒地派のマニフェストともいうべき文章です。「荒地同人」という署名がされていますが、鮎川信夫によって書かれたものと考えていいようです。
現代は荒地であり、ヒューマニズムの無秩序と混乱と、唯物的な近代の世界観の厚顔無恥により、宗教的倫理的な絶対価値が忘れ去られ、伝統の喪失と権威の崩壊によって、現代は言葉への不信の時代となっている、と鮎川は言います。
言い換えれば、宗教的倫理や伝統や権威をささえるべきものとして「言葉」が考えられているということで、「言葉に対するこの深い信頼と愛が、僕等の必要と要求に応ずるであろう」と語りかけます。
そして、そのためには詩は「言葉の鎧」であったり、「巧緻なからくり装置」であったり、「まして猫に胡弓を取り付けた玩具」のようなナンセンス・ヴァースであったりしてはならない、のだと…。
「親愛なるX…」と鮎川はコトバを重ねます。詩を書くということは「言葉を高い倫理の世界へおしすすめてゆく」ことであり、「一つの調和への希求と、一つの中心への志向」を伴った、たえまのない詩作過程を生活のすべてとする、そのような「詩の規律に服するように、僕等の生活が保たれるとしたら、すべては如何に良きものであろうか」と。
そして、以上のような、コトバの完全なるハタラキへの信頼---それは幻想かもしれないが、幻想は生の賜物なので排斥すべきではない、と鮎川は言う---を取り戻すためには「僕等はただその善きものと悪しきものとを区別する能力を持たねばならないのである」と結論しています。
この高名なマニフェストを読んでぼくが抱くのは、「言葉への敬虔な信頼の念」がなくては成立し得ないのがじぶんたちの詩である、と言いながら、そのコトバに対する態度は不徹底なもので、コトバそのものが崩壊しつつあるのではないか、というような危機意識は希薄なのではないだろうか、という思いです。
問題にされているのは、あくまでもコトバの「意味」の面での荒廃であり、無秩序であり、荒地派の目の前にひろがっているのは、いわば「意味の荒地」にすぎないのではないでしょうか。
ポエジィによる救済
西脇順三郎は「詩的な美」とは何か、について次のように言います。
この「関係のフォルム」とはすなわち「新しいイメージ」のことです。
新しいイメージをつくることが詩の重要なハタラキであることを強調した先覚者として、ヒュームを評価する西脇ですが、無条件に礼賛しているわけではなく、ヒュームやその後継者とも言えるエリオットの詩学を、なまぬるいものとして不満も持っていたようです。
このように何ものも象徴しない、思いがけない、無意味な、イメージそのものを感覚することが西脇の「モダニズム」でした。
当然、ここには荒地派が求めるような「思想性」も「批評」も「倫理」もなく、あったとしても、詩作の「材料」としての思想やモラルであって、それらは換骨奪胎され、融通無碍に組み合わされ、「新しい関係」というフォルムが形成されてこそ詩になる、というのが西脇の考えです。戦後の荒廃した世界での詩人の社会的役割を模索していた鮎川等がモダニズムを役に立たないものとしたのも、しかたのない面があります。が、西脇にすればそのように一見現実には無力な、社会の改善などには役に立たないからこそ、詩は最終的には人を救うのだ、という思いがあったでしょう。
由良君美の「回想の西脇順三郎」( http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/art/kaisou/vol3.html )によると英文学者の土居光知がある講演で西脇順三郎のエリオット理解に対して「不真面目」であると批判したという。
その内容は「西脇教授は、『荒地』をエリオットの、全くのふざけたものとして極上のもの、と言っておられる。これは違う。『荒地』はエリオットの、正しく、真剣な、現代批判として読まれねばならぬ。」といったものであったそうです。
土居を怒らせた---西脇による『荒地』翻訳の〈あとがき〉---のは次のような一節です。
土居光知や鮎川信夫のようなマジメなひとたちにとっては、『荒地』の詩人は二十世紀の危機を一身に背負って苦悩する存在です。でも西脇順三郎にとっては、エリオットは機知と諧謔の天才的パロディスト、なのでした。
西脇にとって『荒地』はまず、「意識の流れ」の手法を大胆かつ広範に使用した最初の試みという点で最も尊敬されるべき記念碑的作品であり、「正しく、真剣な、現代批判」などというものは材料にすぎません。「意識の流れ」という枠組みを据えることによって「引用と聯想」を縦横無尽に作品に流し込むことができたのでした。
「装われた悲劇」の歴史から「途方もない冗談」の歴史へ
『ノンセンスの領域』の著者、エリザベス・シューエルは、「詩的隠喩的な要素」を排除する、ことをナンセンス文学の条件のひとつとしてあげていますが、西脇順三郎の言うことをぼくの興味の向かう方向にずっと延長してゆくとモダニズムとナンセンスがむすびつきそうです。
ありとあらゆる不可思議なことが起こりうるが、そこに隠された意味などなく徹頭徹尾「文字通り」の世界、いっさいが「表面」だけで奥行きのない鏡の中の出来事のような世界---すなわち、ナンセンス・ヴァースの世界。
答えのないなぞなぞ、白紙のルールブックを持った厳格な審判員、シニフィエ無きシニフィアン、言語怪獣たちが跳梁跋扈する世界。
鮎川信夫が、現代の詩は「猫に胡弓を取り付けた玩具」であってはならない、としりぞけたまさしくその世界です。
鮎川は、深瀬基寛がエリオットの「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」のイメージの飛躍を評して「この表現には、行と行の間を前節と後節のあいだを、また客観的世界と創造的意志との間を繋ぐ接続詞というものがない。近代世界は接続詞のない世界である」と言ったことについて、次のように述べます。
しかし、それは「現代文明の危機」などというよりは、エリオットがアリスの世界に近づいたからなのだ、というのがシューエルの意見なのです。
あまりにもマジメすぎ、コトバを窒息させてしまった荒地派の詩人たちによって、いわゆる「戦後詩」とよばれるものは息も絶え絶えの状態になってしまった、というのがぼくの印象です。
ぼくが詩を書き始めた十代---むかしむかし三十年以上も前のことですが---のころは、まだまだ荒地派を中心に現代詩を語るような雰囲気があり、ぼくも彼らの詩を読んでいました。でも、今あらためて読もうとすると、非常にしんどい、というのが素直な感想なのです。
それは、内容が重いから、深刻だから読むのがつらい…というわけではないのです。読んでいてしらじらとなっていく感じ、その「悲劇ぶりっこ」ぶりにヘキエキしてしまうのでした。
ウィキペディアの「現代詩」の項目( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%A9%A9 2011/02/20現在)を見ると「現代詩=戦後詩」という記述になっており、荒地派がその筆頭にあげられています。戦前のモダニズムに関しては完全に黙殺されており、北園克衛や春山行夫はおろか西脇順三郎についてさえ一言も触れられていません。
たかがウィキペディア、しかも他にもつっこみどころが多々ありそうな記事---おそらく荒地派の洗礼を強く受けた世代のひとが主に書いたのでしょうか、コトバに対する荒地派的なマジメさと偏狭さに充ち満ちています---なのですが、ながらく書きかえられる様子もないところをみると、あまり強く異を唱えるひともいないのでしょう。そうすると現代詩って、だいたいこんなものだろう、とみんな思っているのでしょうか。
われわれがコトバの手足を存分にのばし、その真の健全さをとりもどすためにも、「戦後詩」の書き手たちが生き残るのに性急なあまり、投げ棄ててきてしまったものを拾い集め、現代詩の歴史を「装われた悲劇」の歴史から「途方もない冗談」の歴史へと、書きかえるのをこころみる必要があるように思うのです。