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映画監督 田中絹代

田中絹代といえば誰もが認める大女優ですが、日本映画界において二人目の女性映画監督でもあり、近年ではその監督作品が再評価され、注目を集めています。
とりわけ夭折の歌人中城ふみ子を描いた『乳房よ永遠なれ』は評価高まるばかりですが、他の作品にも長い女優としての経験が生かされたであろう人間描写に光るものを感じます。
監督処女作は『恋文』(1953)。
出演は森雅之、久我美子、香川京子、道三重三。
田中絹代主演映画を多く手掛けた木下恵介監督が脚本を提供しています。

彼女の監督デビューに際しては小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介といった巨匠たちの手厚いサポートがありました。
みな自分たちの大切な女優である田中絹代のキャリアに傷をつけたくなかったのでしょう。
ただ溝口健二は小津などと理由は同じだったのでしょうが、逆に絹代が監督になることに猛然と反対しています。

続く監督第二作『月は上りぬ』(1955)でも小津安二郎が脚本を担当するなど、監督としての恵まれすぎたキャリアをスタートさせた田中絹代ですが、それは彼女にとって枷でもあったことでしょう。
『恋文』でも「すべての人間は罪人であると同時に被害者である」といった木下恵介脚本のヒューマニズムにはなにか収まりきらないような情念のようなものを彼女の演出から私は感じてしまいます。

しかし彼らから解放された第三作『乳房よ永遠なれ』で監督田中絹代は飛翔します。
『乳房喪失』で『短歌研究』の「第一回五十首詠」で特選となり歌壇に衝撃を与えた数カ月後、乳がんのため三十一歳で逝った歌人中城ふみ子の生涯を描いたこの映画は映画史に刻まれる「女性映画」の記念碑的作品となりました。

映画には中城の歌が随所に挿入されています。

水の中根なく漂ふ一本の白き茎なるわれよと思ふ
僧院の夜の感じになべての廊しづもるはわれを悶えさすため
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ

このような激しい女性像は彼女を起用してきた世界的巨匠監督たちも描き得ぬものでした。

女優としての名声があまりに大きかったこと、時代的に女性監督と言う存在に猜疑の目(溝口のように)があったことなど、いろいろな理由はあるでしょうが、これまでほとんど無視されてきた「映画監督田中絹代」への再評価の流れが更に大きくなることはまちがいないことでしょう。


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