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No.48 2023年1月2日~3日 第99回箱根駅伝 応援したチームにブラボー

 「ブラボー」(イタリア語で優れた、立派な、上手な等で人の能力をほめる時に使う言葉)は2022年のワールドカップで日本の長友佑都選手が日本の試合や選手にかけていた言葉です。
 エッセーNo.43では第99回箱根駅伝予選会で立教大学が55年ぶりの出場を決めたことと箱根駅伝出場大学の系列私立小学校について書きました。その最後に「私は現在早稲田大学教師研究所招聘研究員をさせていただいています。2023年1月2日~3日は、青山学院大学、立教大学、早稲田大学の3校を応援することでしょう。お正月の楽しみがまた一つ増えました。」と書きました。学生時代に通っていた大学や現在関わっている3つの大学への期待ですが、青山学院大学には優勝、早稲田大学には上位での順位、立教大学にはシード権の確保でした。結果は以下のようでした。
1位駒澤大学 2位中央大学 3位青山学院大学 4位國學院大學 5位順天堂大学 6位早稲田大学 7位法政大学 8位創価大学 9位城西大学 10位東洋大学 11位東京国際大学 12位明治大学 13位帝京大学 14位山梨学院大学 15位東海大学 16位大東文化大学 17位日本体育大学 18位立教大学 19位国士舘大学 20位専修大学
 期待することと結果はいつでも重なることは難しいことです。大学生の競技と言ってもそこは教育の一つの場であるわけですから、指導者の方針や戦略の大きな影響があり学生自身の能力だけでは乗り越えられないこともあるでしょう。選手が十分力を発揮できなくともそこにはいろいろな事情があることを考慮し冷静に競技を観戦することを心がけていきたいです。
 
 青山学院大学が優勝を逃したことはとても残念でした。往路の第5区への中継では1位の駒澤大学と2位の青山学院大学との差は1秒でした。しかし、当日のメンバー変更で5区山登りを予定されていた2年生の若林選手が元日朝練習の時体調不良を訴え、4年生で初めての箱根駅伝出場になる脇田選手に代わっていました。この記事は2日の8時57分にスポーツ報知オンラインで配信されていました。
スポーツ報知オンライン
https://hochi.news/articles/20230102-OHT1T51009.html?page=1

 急な変更で選手としてとても大変だろうなと思っていました。記事の最後に「脇田はこれまで学生3大駅伝の出場経験はない。最初で最後の晴れ舞台に立つ脇田に、青学大の命運は託された。」と書かれていました。結果として駒澤大学に5区の山登りのゴール地点で2分3秒の差がついてしまいました。そして、3日の復路6区山下りです。この6区に前日5区を走った脇田選手をメンバー変更で入れる予定が5区を走ったために選手登録していた西川選手がそのまま走ったようです。結果は7区の小田原中継所では7位で駒澤大学との差は7分4秒に広がってしまったようです。この西川選手も4年生で箱根駅伝は初出場でした。メンバー変更の可能性が大きい選手が変更なく走ることは心身ともに大きなプレッシャーがあることでしょう。今回の5区の山登りと6区の山下りの二人の選手は本当に頑張った走りだと思いました。その後9区の岸本選手が5人抜きをして3位にまで押し上げました。
復路と総合の結果についてスポーツ報知のオンラインで記事になっていますが、「原晋監督(55)は『故障者を出してしまった監督の責任です』」と書かれていました。
スポーツ報知オンライン
https://hochi.news/articles/20230103-OHT1T51134.html?page=1
 1月5日次のような情報が配信されました。
「第99回箱根駅伝(1月2、3日)で3位となり、連覇を逃した青学大の若林宏樹(2年)が5日早朝、神奈川県内で20キロ上り坂タイムトライアルを敢行した。若林は5区(2日)に出場予定だったが、1日朝に体調不良を訴えて欠場。2日間の静養で回復し、4日から練習を再開した。『せっかく箱根駅伝5区に向けて練習と調整をしてきたのだから、本番と同様の練習をした方がいい』と原晋監督は説明。原監督は早朝に若林の練習を指導すると、その後、日テレ系の情報番組『ミヤネ屋』出演のために大阪に移動。相変わらず、エネルギッシュに活動した。」                              スポーツ報知オンライン          https://hochi.news/articles/20230105-OHT1T51062.html  

 原晋監督は2022年11月24日に『「挫折」というチカラ 人は折れたら折れただけ強くなる』(マガジンハウス新書)という本を出版されています。99回箱根駅伝のおよそ1カ月前です。表紙には「青学はなぜ何度も駅伝王者に返り咲くのか? 勝負強さは『挫折』から作られる 強靭なメンタルを育てる逆境力」とあり、はじめにで「挫折こそが成功のもとである! 人は折れたら折れただけ強くなる! 心のかさぶたをどんどん厚くせよ! 世の中の人よ、もっと挫折せよ!」と書かれています。若林選手の20キロの上り坂タイムトライアルは「挫折」から作られる勝負強さのメソッドの1つであったのでしょう。 

 青山学院大学にはブラボーと言いたいです。
 
 早稲田大学は往路5位、総合6位でゴールしました。昨年は13位でシード権が取れず予選会からの参加でした。昨年の6月に花田勝彦氏が監督に就任して、10月の予選会では4位で通過しました。昨年のシード校と合わせると14位の位置でしたが、見事6位の成績でした。監督の手法が大きく影響したことでしょう。期待通りの活躍に選手個々の努力があったのでしょうね。スポーツ報知オンラインでは「週1回の20キロ走などスタミナ強化も結実した。『選手たちがよくやった、という言葉に尽きる』とねぎらった。」と書かれています。海外遠征で選手を強化する考えもあるようで、「資金はクラウドファンディングなどで調達する構想で『500万円とか、それくらいの額が集まれば』と思い描いた。」とあり、さらに「花田駅伝監督は『今は種まきをして、土台をつくる時期。いい芽も出た』とほほ笑んだ。」とあります。
 来年の100回大会には3位入賞も夢ではないようです。
スポーツ報知オンライン
https://hochi.news/articles/20230103-OHT1T51137.html?page=1
 
 早稲田大学にもブラボーと言いたいです。
 
 立教大学は昨年10月の予選会を6位で通過し、1968年の第44回大会以来の55年ぶり28回目の出場を果たしました。日本一速い監督と言われている上野雄一郎氏がシード権獲得を目指していましたが、往路が20位で、総合が18位で復路の繰り上げスタートはありましたが、タスキが途切れることはありませんでした。
 スポーツ報知オンラインでは「立大が55年の時を超えて『江戸紫』のタスキをゴールまでつなげた。往路20位から2つ順位を上げて18位でフィニッシュ。上野裕一郎監督(37)は『何をしたらいいのか分からないことが多くて不思議な感覚だった。ここに連れてきてくれた選手にまずは感謝したいと監督として初の箱根を振り返った。「チーム目標の『シード獲得』はならなかったが、前回出場の1968年(総距離223.2キロ)は現在より6キロほど長いが、その大会の12時間12分10秒から約1時間1分縮め、歴史の扉を動かした。今大会の登録メンバーは全員3年生以下。『今回の経験は全てプラスにしかならない。マイナスなことは何もない』と指揮官。今大会の経験を全て糧にして、次は62年ぶりのシードを奪還する。」とあります。
 2024年の第100回大会ではシード権を獲得してくれることでしょう。
スポーツ報知オンライン
 https://hochi.news/articles/20230103-OHT1T51149.html?page=1
 
立教大学にもブラボーと言いたいです。
 
 箱根駅伝は1920年(大正9年)に開始されました。1920年は私の父と母が生まれた年です。1941年、42年、44年、45年、46年は第二次世界大戦と大戦後の影響で中止になっています。それで来年2024年が第100回大会になります。
 私の長男は整骨院で働いていますが、2023年箱根駅伝に出場した選手が高校生時代にサポートしていたようです。次男は私と同じように中学から高校まで陸上の長距離選手でした。箱根駅伝に関心が高く帰省している正月には二人でどのような競技展開になるか話しています。今回の優勝の予想では私が負けましたが。
 箱根駅伝は私の家族とのつながりを深めてくれるものかもしれません。
 
 箱根駅伝終了後の1月10日(日)優勝した駒澤大学、3位だった青山学院大学、5位の順天堂大学の箱根駅伝10人の出場メンバー以外の選手(駒澤2人、青山17人、順天堂4人)がハイテクハーフマラソンに「箱根駅伝11区」として出場し荒川の河川敷を市民ランナーと一緒に走りました。
 
スポーツ報知オンライン
https://hochi.news/articles/20230108-OHT1T51027.html
 
この企画を考えた方にブラボーと言いたいです。
 
参考
読売新聞オンライン 箱根駅伝2023
https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/2023/


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