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No.124 1996年~2014年 小学校社会科教科書の執筆

 教師3年目の1983年頃私立小学校社会科部部会の先輩で、当時成蹊小学校の教頭の清水照行先生から紹介され社会科教育を研究する「社会科教育研究センター」に入会させて頂きました。その会の会長は国立教育研究所名誉所員大野連太郎氏で、大阪大学教授水越敏行氏、上智大学教授加藤幸次氏などの教育学では著名な先生方がいらっしゃいました。毎年夏の2日間東京で研究大会が開催されていました。会の中心的な概念は「探究学習」でした。グローバル教育など最先端の国際理解教育に関する分野の提唱もされていて、知識を覚える社会科ではなく子どもたちに探究する力を身につけることに私は魅力を感じました。すでに明治図書から何冊もの書籍を会として発行していました。早速実践発表する機会を頂き、2年目4年生の実践として「子どもの身近な物・問題からグローバルな視点へ」という報告文を『社会科授業の探究 第2集』(明治図書、1984年)に執筆させて頂きました。
 毎年楽しみに夏の研究大会に参加していました。1990年頃成蹊小学校の清水先生から「小学校社会科の教科書を執筆してみないか」というお言葉を頂きました。当時、社会科教育研究センターの主なメンバーは、中教出版の教科書を執筆されていたのです。初等科でも中教出版の教科書を採用していました。記憶が間違っていなかったら、私が公立小学校に通っていた時に使っていたのも中教出版の教科書かもしれません。教科書の老舗の出版社でしたので、喜んでお引き受けしました。ところが、その後中教出版が経営を断念する事態になり、しばらくして日本文教出版が発行を引き受けて下さることになりました。
 その後1992年頃から執筆の準備に入り、1996年から2014年まで発行された5期およそ20年の期間教科書に携わることができました。それぞれの取材や執筆の様子について述べさせて頂きます。教科書は執筆者だけで出来るものではありません。教科書会社の編集部で原稿を基に内容やデータを確認したり追加したりして構成を整え、子どもたちが読みやすいようなレイアウトを工夫してつくりあげます。私も編集部の方にたくさんお世話になりました。
 教科書執筆の経緯をご紹介します。
(1)「日本とつながりの深い国々」1996年度から使用 小学校6年社会科教科書(下)
 
初めての教科書執筆の経験でした。だいたい初めて執筆する方は3・4年生の中学年を担当することが多いように20年ぐらいの経験から思われます。私は6年生下巻に掲載される「日本とつながりの深い国々」のアメリカ、中国、オーストラリアについて担当しました。従来の記述もありますので、全くオリジナルに書き換えることではありませんでした。たまたま1992年は、NIEでアメリカへ、環境教育でオーストラリアへ、異文化への関心で中国へ行く予定がありましたのでその視察を生かして取材・執筆することになりました。
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(2)「工業の発達と公害」2000年度から使用 小学校5年社会科教科書(上)
 1993年私立学校の研究・研修を助成する団体である私学研究福祉会の在校研修として熊本・水俣をフィールドワークし授業を実践する研究を行いました。今回はその経験を生かしての執筆になりました。
熊本日日新聞社で、水俣病関連新聞記事の収集。水俣病の発生前後から、最近(当時)まで新聞はどのように報道してきたのか、水俣の地元である熊本日日新聞の紙面をマイクロフイルムやスクラップブックから収集しました。
 水俣市滞在。水俣病患者、浜元二徳さんに話を聞きました。。熊本日日新聞社水俣支局記者、毎日新聞水俣支局記者、NHK熊本放送局水俣報道室記者、胎児性水俣病患者などと水俣の歴史と現在の状況を懇談。水俣病被害者の会で、水俣病裁判の経過について話を聞きました。水俣病資料館訪問。水俣病歴史考証館訪問。チッソ水俣工場訪問。水俣病治療病院明水園訪問。水俣郊外見学。訪問先については熊本日日新聞水俣支局記者の方に調整をしていただきました。
 このフィールドワークを基に13時間の授業を行いました。エッセーNo.2 「2021年9月24日 ジョニー・デップ制作・主演映画『MINAMATA-ミナマタ-』から、私にとっての水俣を振り返る」を参照して下さい。
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(3)「ニュースを伝える」2000年度から使用 小学校5年社会科教科書(下)
 1995年1月17日に起こった「阪神・淡路大震災」を通して新聞報道の役割を記述しました。私自身が被災地の兵庫県に行くことができたのは1996年でした。まだ十分復興ができていない状況でした。当時の新聞報道を丁寧に追いかけ授業で実践したことを基に構成をしました。
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(4)「わたしたちを動かす情報」2002年度から使用 小学校社会科教科書(下)
 「情報」単元での取材が放送局に変更され、私にとっても初めての放送局の取材になりました。1999年に青森放送を訪問しました。ニュース番組に焦点を当て取材の様子を担当者に聞いたり、番組がどのように出来るかを追いかけたりしました。そして、実際にどのように放送されるのかスタジオで視察させて頂きました。取材後、酸ヶ湯温泉や山内丸山遺跡をフィールドワークしました。
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(5)「森林は、なぜたいせつなの」2002年度から使用 小学校社会科教科書(下)
 1999年に三重県の尾鷲市を取材しました。森林組合で林業の話を伺ったり、スズメバチなどのハチ対策の用具の実物を見せていただいたりしました。尾鷲森林経営センターの森林官と一緒に水源地まで同行しました。その過程で撮影した写真を何枚か教科書に載せることができました。この同行はすぐ横に崖が見える道を車でジグザクに長時間走り私にとってはとてもきついものでした。最もきつかった教科書執筆取材として記憶に残っています。
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(6)「いま、どんな自動車が求められているの」2005年度から使用 小学校5年社会科教科書(上)
 初めて教科書での自動車産業の取材でした。2002年に福岡県の北九州市の近く苅田町にある日産自動車の工場とその周辺の関連工場を訪ねました。自動車工場では女性の働く姿がありました。ここも1つのポイントとしました。関連工場もとても忙しい様子でした。以前、トヨタの自動車工場と関連工場を訪ねた時関連工場の方が「ベルトコンエアーが関連工場まで伸びている感じです」という言葉がここでも感じられました。
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7)「情報は、どのように生かされているの」2005年度から使用 小学校5年社会科教科書(下)
 ここではどこかに取材に行くということはなく、日常のNIEの実践を基に執筆しました。新聞の利用として「写真アルバム」「ニュースカレンダーづくり」「できごと地図づくり」「スクラップブックづくり」など具体的な方法を提示しました。
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(8)「情報は、どのように伝えられるの」2011年度から使用 小学校5年社会科教科書(下)
 2008年地方紙である静岡新聞社を訪ねました。NIEの関係でそれまでにたくさんの地方紙を訪問していました。地元の人たちは地方紙の購読率がとても高いです。今回は身近な情報がどのように伝えられるか「富士山」を例に記述しました。また、「受け取る側の判断」というコーナーでは、「松本サリン事件」での誤報、テレビでの「納豆ダイエット」での捏造などを取り上げ、どのように情報を受け取っていけばいいかの提言をしています。取材後2度目になりますが登呂遺跡をフィールドワークしました。
取材が生かされたページ

日常の実践が生かされたページ

 現地での取材、日常の実践を教科書の執筆に生かすことができるという貴重な経験をさせて頂きました。現在のフィールドワークに生かすと共に、この経験は『朝日ジュニア学習年鑑』の執筆に生かされています。エッセーNo.108「2008年~『朝日ジュニア学習年鑑』(朝日新聞出版刊行)の執筆を続けてきて 数字で社会を見る一助にと」を参照して下さい。
 私は日常の授業では自作の資料を中心にして授業をしています。初等科でも紹介してきました教科書を採用していた時期がありましたが、教科書の後付けを見て私が執筆者に入っていることを知っていた子どもたちが「あまり教科書を使っていない先生が教科書を書いていることは面白い」と話してくれました。私もその通りだと思いました。

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