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No.57 1985年 5年生社会科 「1本のバナナが私たちの口に入るまで」(SDGsにつながる学び)

 学生時代に社会科学を学ぶ時にメンターのような役割を果たしてくれたのが岩波新書でした。その岩波新書は今でも愛読書の一つです。
 教員になり聖心の社会科では国際理解教育を進めることを一つの大きな目標にしましたが、特に当時の発展途上国の実状や日本との関りを学ぶ開発教育に関心を持っていました。ユニセフやユネスコアジア文化センターの方々の協力を得て学習材を作成してきました。現在のSDGs(国連が進める持続可能な開発目標)につながるような活動でした。
 そのような中、一冊の著書に出会いました。鶴見良行著『バナナと日本人-フィリピン農園と食卓のあいだ-』(岩波新書、1982年。)です。

 バナナというと私が小学生の頃の1960年代では、とっても価格が高く日常口にすることはできず病気の時に食べることができた高級な果物のイメージがありました。当時は台湾産バナナが主流であったように記憶しています。そのバナナもフィリピンで生産されるようになり、1980年代ではかなり価格が安くなったようで日常食べることができる果物になっていたようです。
 この著作を読んで、フィリピン農園の実状を学び、著者の鶴見良行氏が理事をされていたアジア太平洋資料センターで、「フィリピン農園のようす」のスライドを購入して授業の時に見たり、そのスライドから写真にして模造紙に貼りいつでも見られるようにしたりして学びました。フィリピンバナナ農園をフィールドワークすることはできませんでしたので、横浜港に着いたバナナがどのように作業されその後果物店に運ばれるのかを追いかけるフィールドワークをしました。
 当時、次のような授業構想をもっていました。
「日本で手ごろな果物としてのバナナの多くは、フィリピンのミンダナオ島で生産されている。私たちがなにげなく食べているバナナの生産・流通過程を探ってみるとそこには南北問題が浮き上がってくる。多国籍企業や農園労働者の貧苦といった問題がある。しかし、小学生にそのような観点を直接的に教えることは必要ではない。バナナの生産・流通過程を通して私たちの生活と世界の国々との結びつきを理解し、フィリピンのバナナ労働者の生活の様子を少しでも知ることができればよい。このような視点からの教材編成が小学生のレベルの南北問題の理解にとって有効な内容であろう。」
 この単元の授業は5年生の「日本の食料生産」との関連において取り上げたものでした。後で紹介するある子どもの紙芝居「BANA君のすてきな旅―1本のバナナが私たちの口に入るまで―」は訪問したアジア太平洋資料センターのフィリピンバナナ農園のスライド、横浜の輸入業者「京浜輸入青果センター」加工業者「万国フルーツ」のフィールドワークをもとにして授業したものをまとめとして表現したものです。
 「バナンボ・バナナ カラーチャート」(住商フルーツ株式会社)は京浜輸入青果センターでいただいたものです。船から荷揚げされたバナナが緑から徐々に黄色になっていくことが分かります。


 ある子どもの紙芝居にした作品を紹介します(絵はカラーでしたが、ここでは共著『小学校国際理解の授業』(東洋館出版、1989年。)に掲載したモノクロの作品を提示します。


①  フィリピンの南にミンダナオ島という島があります。そこにある広いバナナ畑ではフィリピンの人たちがバナナの新芽を育てていました。バナナの赤ちゃんです。バナ君も芽を出しました。これからそのバナ君に話をしてもらいましょう。
(新しく植えこむためにバナナの根を5㎝ほどに切る→その皮をむく→それを薬品につけて殺菌する→畑にうめる)


② ぼくは、産まれてから人間たちにさっそくお世話になりました。まわりにはえてきた雑草をボロという刀でとってもらったんだ。それからぼくたちはかびによるくさり病や虫からのくい病の予防のためふんむ機や軽飛行機で薬をまいてもらうんだけど、ぼくたちの近くに住んでいる人やぼくたちのために働いてくれている人たちに薬がふりかかってしまうと病気などの害がでてきてしまうそうだよ。大変だね。(ボロという刀やかまで草をかる→かびや虫を防ぐ強い薬品をふんむ機や軽飛行機でまく。)

③ ぼくたちに実ができると新聞で作った袋をかけてくれるんだ。なぜかっていうと、ぼくたちもみんなと同じ日焼けをしてしまうからなんだ。真っ黒けのバナナなんてみっともないだろ。
(結実したバナナに最初は新聞紙の袋かけをする。)


④  房が大きくなると新聞紙から薬品処理したビニールシートに換えてくれるんだ。これを作る工場もあるんだよ。だけど、このビニールのおかげで美しいフィリピンの景色がビニールがたまってしまって汚くなってしまうんだ。(房が成長すると薬品処理したビニールシートに換える。ビニールシートを生産する工場もある。)


⑤  ぼくたちを取り入れてくれる作業は男の人が二人一組でやっているよ。一人の人がボロという刀でぼくの幹を切り倒し、もう一人の人がクッションを肩にかけて受け止めてくれるよ。
(収穫。全房の重さは40-60㎏ぐらい)


⑥ そして、降ろしてもらってから虫の病気にかかっているかいないか、身体検査で体重を計ったり、実がちゃんと熟していてセンスがいいかなど最初のチェックをしたりします。もしも、不合格だったら捨てられてしまうんだ。(最初の検査。重量・サイズ・熟度・形状・虫害の有無などをチェックし、基準に達しないものは全房ごと捨てる。)

⑦  合格したぼくたちはけがをしないようにクッションつきのトレーラーで運ばれ、そこからレールにかぎばりがかかっているやつで作業場の中まで運んでもらうんだ。作業場の中では、ぼくたちをごしごし洗って切り口に殺菌薬をぬってくれるのさ。その後ラベルを貼って12.5㎏ずつビニール袋に入れて、日本から輸送されてきたカートンにつめてもらうんだよ。
(洗浄→茎の切り口への殺菌→検査→ラベル貼り→12.5㎏ずつビニール袋に入れる→カートンに詰める)

⑧ そして、トラック積みされたカートンが会社ごとの専用埠頭に運ばれ、荷揚げ労働者と呼ばれる人たちによって冷蔵船に積み込んでもらうのさ。船の中の温度は13.5度に調節してあるんだ。5日間もそんな温度なんだ。どれだけ新鮮さが大切か分かるね。5日間も船の中で少したいくつだからフィリピンの農園のことを教えてあげよう。もし、バナナがとれすぎたらすてられてしまうんだ。とれすぎると値段が安くなっちゃうからね。でももったいない話だね。次は農園で働く人たちの話をしよう。農園で働いている人の給料は、やっている仕事で少し違う。ある人が1977年に調べたものによると、日給7.6~11.7ペソぐらい。1ペソは30円ぐらい。日本と物の値段が違うから簡単に比べられないけれど多い給料じゃないね。荷揚げ労働者の仕事は毎日あるわけじゃないからずいぶん生活は大変だね。
(埠頭での荷揚げ→冷蔵船で運ぶ。)


⑨ 6日目にやっとのことでぼくたちは日本につくんだ。東京・横浜・大阪の港に降ろしてもらうのさ。それからそこの港の倉庫で、ぼくたちは半日殺虫してもらってまた検査してもらうのさ。それから、加工業者に輸送されるんだ。
(埠頭での荷降ろし→倉庫で半日殺虫→検査)


⑩ 加工業者では、ぼくたちに色を付けてくれるんだ。いわゆるおしゃれさ。こうすると色もよくなって長生きできるのさ。ぼくたちは「むろ」という部屋に入って、5日ぐらい暖められたり冷やされたりしてきれいなバナナになるんだよ。遠くに行く友だちは、黄緑っぽくなったくらいで「むろ」から出て行ったよ。そして、ぼくたちはそれから少したったハーフイエローというところで出されたんだ。それからお店まで運んでもらうのさ。
(加工業者がバナナに色付けする。)

⑪ ジャッジャジャーン!そしてぼくたちはお店に並べられたのさ。お店の人が言っていたんだけど、お店に並べられたばかりのグリーンチップというバナナは、まだ甘さが不十分だからすぐ食べるにはむいていないんだけど贈り物にはいいんだって。今ぼくはフルーイエローといってお買い上げのときなんだ。見て、このつや。味は分からないけれどきっといいはずだよ。だれかぼくを買ってくれないかなあ。あっ、だれかきたよ。「バナナ下さい」わぁーバナナだって!お願い僕を買って。「これにしょうかしら」やったー!ぼくを選んでくれた。
(小売業者)


⑫  ここはテーブルのおさらの上。ぼくはゆうじ君のおやつになったんだ。バナナは果物の中ではカロリーが高いからちょっと太めのゆうじ君には体によくないかな。でももっとカロリーの高いケーキよりはいいと思うよ。さて、これでぼくの旅はおしまい。バイバーイ!

実によくできた子どもの作品でした。私たちが何気なく食べているバナナの
背景にはいろいろな問題があることがわかります。子どもたちがそのことに少しでも気づいてくれれば実践をした意義がありました。
 次回はエビが主人公の学習です。バナナと同じように日本とアジアの国々の関係を考えました。

参考 学びの未来研究所「家族で取り組むSDGs」
https://www.manabinomirailab.com/sdgs-top


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