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大学職員になった理由①

初めに

 現職に就いてX年が経ち、初心を思い出すためにも私が大学職員になった理由をまとめていこうと思いました。ここに書いてあるのはあくまでも私個人の一例であり、大学職員を絶対的におすすめする意図もその他就職先を否定する意図もありません。ただ、こちらを読んでいただいて、読者の方に何か響くものがあれば執筆者としては幸いです。1回で書ききってしまうと長くなってしまうので、何回かに分けてnoteに投稿していきます。

当初は民間企業を目指していた

 就活を始めたときは、完全に民間のみを受けていました。この業界に行きたい!という希望は無く、なんとなく「英語を活かせる企業がいいな」と思っていたので、航空、海運、物流、旅行、海外展開を重点的にしているメーカーなど様々な業界の説明会に足を運んでいました。
 自己分析では、適性としては「公務員」が上位にあり、性格診断も「芸術家タイプ」となっていて、暗に「民間は合わないよ」と言われていたようなものですが、それらを無視して民間企業を受け続けていました。なぜ無視したのか。それは今でも私の根底にある固定観念という呪いと劣等感が原因でした。

最初のキャリアは民間であるべき

 様々な適正検査で「民間は合わないよ」と示唆されていたにも関わらず、私が民間だけ受け続けていたのには、私の中に今でもくすぶっている呪いと劣等感によるものです。
 まず、呪いとは「最初のキャリアは民間企業であるべき、さもなくばその後苦労する」という固定観念です。原因は、両親のキャリアにあります。両親は共に中央の公務員でした。しかし、仕事以外の面で色々あり、共に公務員を退職しました。その後のキャリアは悲惨なものです。民間で通用するスキルなんて無いまま退職したものですから、転職先の企業は限られていました。私が物心ついた頃から2~3年のペースで職を転々としていました。そして、経済的に困窮していました。どれぐらい困窮していたかというと、たまに電気・ガス・水道・電話が一時的に使えなくなる程度です。当時は祖父母からも経済的援助を受けていたようです。そのような両親を見てきたので、私の中には最初のキャリアを公務員にしてしまうと潰しが利かず、万が一、辞めざるを得なくなった場合に苦労するから絶対に公務員になってはいけない、と強く感じていました。そのため、公務員という選択肢を一切検討することもせず、ひたすら民間を志望し続けました。
 次に、劣等感による大企業病についてです。私は所謂「大学デビュー」した口です。高校までは頭が良いだけの日陰者でクラスメイトからは距離のある「○○さん」呼び。クラスのマイノリティ、カーストの下層にいました。話の大筋からそれるため、今回は省略しますが、高校まで輝ける場面が無かったので、私は劣等感の塊を持ち続けています。ところが、大学に入り、皆、同じような学力なので「頭が良い」を理由に敬遠されることは無く、人として対等に話してもらえ、距離を感じなくなり、自分がマジョリティに属していることへの安心感を得ました。(正確に言えば、規模が大きいので距離がある人が可視化されなくなっただけなのですが、この点は割愛)さらに、体育会系への参加、競争率の高い研究室への配属などを経て、マジョリティ、かつ、カーストの上層に位置している意識が芽生えました(おごってましたね…)。そもそも、カーストを意識してしまっている時点で劣等感の塊がまだ私を支配していることを示唆しているのですが、それには気づきつつも抗うことまではできませんでした。自分が安心感を得られる立ち位置で大学生活を送っていた中、就活の時期がやってきました。ここで私の劣等感が「大企業に入るべき」という考え方を産み出します。なぜなら、私の大学は誰もが知るような大企業への就職者多数、かつ、実際に身近な人たちが、トヨタ・電通・ANA・IHI・日立・BIMなどに就職していくのを目の当たりにしていて、大企業に入るのがマジョリティだから、そこに入れなければ私はまたマイノリティになると考えてしまったからです。冷静に見れば、地方に帰る友人、ベンチャーや中小企業に入る友人もいたので、絶対に大企業に入らなくてはいけない理由なんてなかったはずですが、当時の私は自分に都合の良い部分しか見えていななかったようです。

残りは次回

 大企業病に罹ってしまった私が大学職員の仕事を見つけるまでもう少し時間がかかります。次回はそのへんまでをまとめていきたいと思います。

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