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友人との会話で、自尊心について考えた話
自尊心が高いや低いという事が昨今流行っている。自己肯定感と言っても良いだろう。
自分が学生時代の頃は、確か自尊心がどうだという事を言う人はいなかったと思う。
ところが、ひょんな事で、自分自身は今で言う自尊心(自己肯定感)が高いという事に気づくことになった。それは、友人の一言「お前は、何もないのに、何か大丈夫な感じだよな」である。
ちょっと失礼な言葉と思う気持ちより、「確かにそうだな」と思ったことをはっきり覚えている。
大学時代、同期の中の相対評価で考えると、学業、スポーツ、ルックス、家柄、お金、全ての項目で平均以下だったと思う。と言うか、友人に言われてはじめて、「確かに何もないな」と気づいた。
そこで感じた事がいくつかある。
確かに大学入学後は成績は低迷し、部活動では万年補欠、合コンに行ってもモテない、お金がないのでバイトづくし、という日々を送っていたが、全く悲観はなく、むしろ楽しい日々を送っていた。友人からしたら「何もない」のに自分は楽しかったのである。それは、昨日の自分と比較して前に進んでいる、常に成長していると感じたからである。SNSや携帯電話もなかったので、リア充の友人は周りには少数で、友人と比較する事がなかったのだ。
もう一つが、今で言う自尊心が高かったからである。自分は自尊心が高いと感じていたわけではない。友人から言われて初めて、「確かに何があっても自分は大丈夫という感情があるな」と思ったのである。
そこで、「何故自分は大丈夫という気持ちが根底にあるのだろう?」と考えてみた。それは、すぐに分かった。親、特に母親、そして、小学校時代の数々の恩師のおかげだと思った。
自分は、一回だけ叱られた記憶があるだけで、他に叱られた記憶がない。母親はいつも明るく、自分に残念な事があると一緒に泣いてくれて、点数が良かったりすると一緒に喜んでくれる人だった。自分が褒められたという感情を持たないほど褒められていたようだ。(ようだというのは、妻が母親の言動を聞いて、あまりの褒め具合に引いたと言われ気づいた)
父親は、週末しか合わない感じだったが、よく遊びに連れて行ってくれ、色んなことを教えてもらった。そこに教育という感じはなく、ただ遊びだった。(自分は教育という感じはなかったが、妻が孫と遊ぶ両親をみて、あまりの教育熱心さに驚いていて、そこで初めて、親の通常の接し方が教育になっていると気づいた)
このように、自分は親を含めた周りの応援があって、「何があっても大丈夫」という自尊心があるのだと考えている。
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