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「子どもに寄り添って考えてるなんてすごいですね!」


親の時に、プロの保育者が出す文章で賞とったことがあった。

小学館の雑誌で、保育雑誌があるのだが、そこで、幼稚園や保育園の先生が出す「保育記録」を、森のようちえんに所属する普通の母親が出して、賞をとったことがあった。

この頃は、青空保育(森のようちえん)の先生のやることなすことが、なぜそうなのかがわからなくて、何をしても常に先手先手を打たれて、ものすごく悔しくて、今いる場所をみんなが楽しいコミュニティにしたくて、なんとかならないかとあがいて、保育を仕事にしたり、結果的に資格をとったりした。

それで、今、だいたい、なるほどな、と思ている。
なんで母親と保育者が違うのか、なぜ保育者は先手を簡単にとることができるのか、

保育者の一番やるべき仕事は「生きて家に帰すこと」

それは、保育者が「友達でも知り合いでもない他人の子を対価を得て預かる」っていう、そういう覚悟をしているからだ、と思った。

他人の子を預かるとき、すべての行動において、一定の質を求められる。それは、ケガした時に大丈夫そうでも、念のために病院に連れて行くとか、そういうことから、ちょっとした時の立ち振る舞いとか。
その「覚悟」が、全身に突き通ってることが、まず、保育者が保育者であること、なんだ、と思う。
それは、まず「生きて家に帰すこと」。

親は、親である自分を楽しんで。どうしても楽しめない時だけ育児法や保育法に頼って。

よく親の立場で、保育者が読む雑誌とかイベントとか出てる人いるけど、

そんなん、見当違いの勉強するのは、めんどくさいからやめておきなさいよ、と思う。
申し訳ないけど、たぶん、本当のところは理解できないと思う。
保育イベントで話す保育者は、実践。実践に次ぐ実践をベースに話していて、その「実践」は、保育者としての実践だ。

保育する親と、保育者と、両方やったから思う。

それより、自分が自分であること、この子の親であること、に集中し、今しかない時間を楽しみなさいよ!! って思う。

一人で、大量の子の安全を確保しながら、生活をするために培われたテクニック(保育法)をされる子どもがかわいそうよ。それよりも、子どもに本音で話して、間違ったらあやまって。最高に自分を楽しむ人生を送って。

それは、過去の自分にも言える。

なんだかそれで親の立場(のはずの)マスコミ関係の人が、いろいろ表層で面白がって、どっかの園や保育者を取材したりすることに、イライラする。
何かをスポットライトを浴びて話すことは、
保育とは真逆だと思う。
そんな表層でウソ語ってもねえ、って、つい、思ってしまう。

保育園で、すべての子どもに寄り添うって、実質無理。家で、対等に付き合うことが、一番 寄り添うことなんじゃないかな。

この間「子どもに寄り添って考えてるなんてすごいですね!」みたいなことを、園長にインタビューしてる記事を見て、腹が立ってきてすぐにページを閉じた。

子どもに寄り添って考えているなんて、あるわけないし、ありえない。一瞬だけ、とか数人、ならあるだろう。でも、「常に、すべての子に」はありえない。(人間ならきっと誰に対してもそうだろう)家庭と比べたら、寄り添って考えれるか、人数が多いところだったら、家庭レベルに寄り添えるかも難しい場合もあるだろう。

(今の教育状況の中でできるだけ)寄り添って考えている、っていう、(今の教育状況の中では)素晴らしい園なんですよね、うちは。

って、、、 誰が親に正直に言うんだろう…。いや、誰も言ってないから腹が立つ。

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