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健常者が障がい福祉について考えてみた


あまりに不憫すぎて、衝撃が走る。

こんな世界を実現しようとしている人がいるのかと思うと思いがけず、本当に思いがけず、涙が出た。

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夜、いつものようにSNSを見ていると障がいに関する記事を立て続けに2つ見かけた。

きっかけはただの好奇心。

気になるひとは記事を自分の目で読んでほしい。


もともと健常者だった人がALSという難病をきっかけにその後起業した話。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1592/

それから、自閉症の兄をもつ弟2人が障がい者が作った作品をアーティストとして販売できる事業を起こした話。

https://r100tokyo.com/curiosity/next-for-future/210403/



ところで私にはとても障がいは他人事だ、と済ませられない理由がある。

生まれた時に髄膜炎(ずいまくえん)という病気にかかったことがあるらしい。らしい、というのはもちろんそんな生まれた頃の記憶なんてなくて親から後から聞かされた話医者からは脳に障害が残るかもしれません、とそう告げられた。三人兄弟の末っ子で、両親共にさぞ心配したことだろう。

結果的には、心身ともに健常者として生まれ今まで大きな病気やケガなく育ってきた。
そんなハッピーエンド話をしたかったわけじゃなくて、本当に障がいは誰にでもありうることなのだ。

もし、自分が障がい者として生まれてきていたら。本人はその自覚さえないけれど、きっと白い目で見られてきだろう。兄弟は嫌な思いをしただろう。両親に大変な思いをかけただろう。

ああ、障がいを持って生まれなくてよかった。

そんな思考が瞬時に巡ってしまう。
安堵してしまう自分がいる。

そう思う瞬間が、今まで障がい者特集のテレビを見るたびに、いわゆる障がい者を街で見かけるたびに、ある。


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当事者または当事者に近い親族でないと熱心に障がいについて考えないとだめなんてそんなことはない。

私は健常者で、まわりに障がいを持つ親族友人もいず、むしろ障がいと関わることなく生きてきた。

だからこそ、健常者の私だからこそ考えなくちゃいけないって思う。

思わず、涙が出たのも、衝撃が走ったのも、この人たちは障がいをもつ人たちの可能性、才能をどれだけ引き出せるか試行錯誤していて従来の障害というイメージをリニューアルしようとしている。

新しい価値観をつくろうとしていること。
素直に心打たれた。

障がいに生まれてよかった、なんて周りの人たちはなかなか思えないかもしれないけど、少なくとも、障害がある人だからこそ輝ける場所を、あり方を、確立しようとしている人を応援したいと思った。


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上の記事を書いた後また時間は経つ。

たまたま障がいを持つお子さんの親御さんと話す機会があった。凄く、かなり、貴重な機会だった。

この機会はそうないと思って言葉を選びながら、なんて聞いたかは忘れちゃったけど実際のところどうか話を聞くことができた。

すごく断片的だけど印象的だった。

よく周りの人たちから「お子さん大変ですね、お母さんすごいですね。」と言われる。
その時、その方は「スゴイでしょ!そうなの!!」って。

「大変だと思われがちだけどすごく平和なのよ」

嬉しそうにお子さんの動画を見せてくれた。

「可愛くてかわいくて仕方がない」

小さなことに感動したりがっかりしたり当たり前の日々にすごく感謝するんだと。

綺麗事だけではないけどと明るく、ちょっと目に涙を浮かべながら。

やり直せたとしても、お子さんにはまたこのように生まれてきてほしいと心の底から言ってた。

負け惜しみではなく。

障害に生まれてよかった、なんて周りの親族たちはなかなか思えないと思っていた私にとってこの返事は衝撃で。

ありのままを受け入れてた。
ここまで来るのに紆余曲折あったのかなと思ってみたり。


帰り道の電車、この記録を書き留めてて、BGMも相まってちょっと私まで泣けた。

可哀想と思ってほしくない。
頑張ってるねとも言ってほしくない。言って欲しい。

あまりにもデリケートで、人によって考え方も異なる中で、当事者とそうでない人たちはお互いに避けていると思う。

何か不要な一言を言って傷つけてしまったら、不快な思いをさせてしまったら、

わかるわけなんてない、蔑んでいる、見下している、可哀想と思われたくない

当事者周辺の人でないと理解するのが難しい。

でも想像はできる。


どこまでいっても、誰にとっても、やさしい世界であってほしい。


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