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三部作『ZOO』 第二話「団体行動」

 高校二年生の夏のある日。咲ちゃんが髪を切った。
 朝、咲ちゃんが来た時、教室内は水を打ったように静まり返った。肩のあたりで揺れていた茶髪のポニーテールは消え、襟足のところがキレイに刈り上げられ、切り揃えられていた。まるで男の子だ。
「どうしたの、咲! 」
「似合ってたのにぃ、ポニーテール」
「もしかして、失恋? 」
 その場にいた女の子たちが一斉に近寄り、声をかける。咲ちゃんはいつもと変わらぬ笑顔で答える。
「あはは、『恋する相手』なんか女子校暮らしで出会える訳無いじゃんか」
 咲ちゃんの笑顔が、妙に胸に鋭く刺さった。

 咲ちゃんは元々、肌が白かった。それに伴ってなのかは分からないが、髪の毛も自毛なのに明るい茶色で女の子達からは羨望の的となっていた。顔も綺麗に整っていたし、近所の男子校の生徒からのアタックも何度かあったらしい。
 女子校特有のグループ構成としては、咲ちゃんは中心グループの中にいた。お洒落だし、性格もいい。話せば面白いし、ノリもいい方だ。入学してすぐに、自然と派手で明るい女の子達が集まった。
 下世話な言い方をすればいわゆる「勝ち組グループ」というやつなのだろう。オタクや腐女子が属する「負け組グループ」は、彼女たちの傍にいるといつも肩身が狭そうだった。実際、咲ちゃんの周辺にいる女の子の何人かは、面白半分でいじめめいたこともしていたらしい。まぁ、詳しいことなんか分からないし、興味も無いんだが。
 私は咲ちゃんとは中学校からの知り合いだ。同じバスケ部にいて、私のことを「理々子」と呼び捨てで呼ぶくらい仲が良かった。「高校にあがってもバスケやろう」と話し合っていたし、最初の一年くらいは一緒にやってた。それが、周りに派手な子が増え始めた頃から咲ちゃんは段々部活をサボるようになり、気がつけば幽霊部員になっていた。
 正直、つまらなかった。
 部活が終わって駅へ向かえば、ファーストフード店の中で他の女の子たちと談笑する姿をよく見かけた。女の子たちはケータイで何かの画像だかを見せ合いながらキャーキャー叫んでいる。咲ちゃんが、それに対して何か言う。すると数人の女の子が咲ちゃんを叩く。「ないわー」とでも言っているのだろうか。私には、理解できないよ。咲ちゃん。どうして、そっちに行ったんだろう。

 私の方はというと、咲ちゃんとのことに重ねて、両親と喧嘩ばかりする日々が続いていた。変な奴とは付き合うなとか、勉強しろとか、親の言うことを聞けとか、そんなんばっかで嫌気がさした。
 だから、髪を金髪に染めた。当然、親は怒った。知ったことか、言いなりになってたまるか。校則的にもアウトだったので先生にも目の敵にされたが、私よりバスケのうまい子なんていないので顧問の先生だけは目を瞑ってくれた。
 咲ちゃんの周囲の女の子が悪口を言っているのには気づいてた。
「目立ちたがり」とか「でしゃばり」とか「ヤンキー」だとか。ヤンキー?今時ないでしょ。
 怖そうにでも見えるのか、大々的ないじめこそ無かったものの、ますます咲ちゃんは私から離れていった気がした。なんでよ、金髪にした理由の半分は咲ちゃんなのに。

 ある日の部活帰り、駅前で部員の子たちと別れた後でコンビニに寄ったら咲ちゃんがいた。珍しく一人だった。別に今更話しかけることもないと思い、私は気づかないフリをして目当てのジュースとお菓子を買った。会計をし終わった頃に後ろから声をかけられた。
「理々子……? 」
「咲ちゃん……? 」
「部活帰り……? 」
「うん」
「あ、そうなんだ」
 咲ちゃんがレジに商品を置き、会計を済ませる。外に出て自転車に乗ろうとすると
「理々子」
「何? 」
「あのさ……今日、家行っていい? 」
 正直、ビックリした。

 特に喋ることもなく、微妙な沈黙が流れるまま二人で歩いていた。今更、何喋ればいいんだよ。約束破ったのはそっちなのに。
「あのさ」
 咲ちゃんが切り出した。
「怒ってる? 」
「なんで? 」
「いや、だってさ……勝手に部活やめちゃったし」
「うん……まぁ」
「……ごめんね。今更言うことじゃないかもしれないけど」
「いや、別に……」
「なんか、いろいろ難しくってさ」
「そうかもね……咲ちゃんらしくない気がするもん。なんとなくだけど」
「うん……やっぱり、そう思うんだ」
「いや、私の考えだからさ。咲ちゃんがそれでいいならいいんじゃないの」
「そうか……」
 ブレザーのポッケに手を突っ込んで、咲ちゃんが歩いている。見慣れた光景のはずなのに、すごく懐かしかった。元々、ちょっと男勝りだったハズなのに、彼女たちの影響なのか、『高校デビュー』というやつなのかは分からなかったが、ここ最近学校で見かける咲ちゃんは、妙に女の子っぽくて、なんだか居心地悪かった。
 両親は今夜働いている。冷蔵庫の中には冷凍食品の夕食が置いてある。レンジで二人分温めて、部屋に持っていった。テレビをつけて待っていた咲の目の前にそれを置く。
「なんか悪いね、急に押しかけたのにさ」
「気にしないでよ」
 チャーハンを二人でつつく。テレビでは芸人たちがミニゲームをするというくだらないバラエティをやっている。
「あのさ」
「うん? 」
 咲ちゃんが切り出した。
「ちょっと、僕ぶっちゃけてもいい? 」
 思わず、私が吹き出した。
「な、なんだよぉ! 」
「いや、咲ちゃんが『僕』っていうの久しぶりに聞いたから、なんかおかしくって」
「バカにすんなよ、理々子に会えたからちょっと気分が昔に戻ったからで、あの時『僕』って言ってたのも若気の至りというか……」
「はいはい、ごめんね。それで、ぶっちゃけることって何? 」
「いや……まぁ、その『僕』にも関係あることなんだけどさ」
「うん」
「ずっとね、あの子達と付き合うようになってから今までの自分がちょっとおかしいってことに気づいたんだよ……中学の時は、みんなでワチャワチャガヤガヤするような感じだったし、みんないい子だったから、僕が僕って言っても何も言われなかった。でも、あの子たちと仲良くなり始めた最初の頃に、僕って言ったら『え』って顔されて……」
 チャーハンの乗った皿の上でスプーンが音を立てた。
「……その時、初めてすごく怖いと思った。いい子達だと思ってたから……んで、嫌われたくなくって髪の毛伸ばしたりした。バスケも……実はあの子達に言われてやめた。『遊びに行くほうが全然いい』って言われて。理々子のこと、裏切るみたいで嫌だったけど、でも、あの子達に嫌われるのが怖かった……いじめられるところも見てたから」
「え? 」
「ほら、ちょっと前に美術部の佐藤さんが……」
「あぁ、ずぶ濡れで中庭にいたやつ? 」
「……」
「え? 」
「見てたんだ」
「……」
「トイレに入ったところに、バケツの水かけるの。見てた。見てるだけで、何も出来なかった」
「中学の時、仲良くしてたじゃん……」
「分かってるよ……でも……」
 咲ちゃんがヒザを抱える。いたたまれなくなって、隣に行き、背中をさすった。
「もっと悪いことが……あるんだけどさ」
「何? 」
「多分、言ったら嫌われるんじゃないかと思って……」
「何言ってんのかな。ここまで言ってくれて嬉しいよ。咲ちゃんは、私の知らないところで頑張ってたの、分かったし」
「うん、でも」
「言いなよ、嫌いになんかならないから」
「……ありがと」
 咲ちゃんが胸にもたれる。
「でも、ごめん。そろそろ帰らないとやばい」
「えー」
「また来ていい? 」
 思ってもみない言葉にちょっとびっくりしたが、嬉しかった。
「当たり前じゃん、いつでも」
 咲ちゃんが、初めて笑った。

 それから一週間。今までとは違って、廊下ですれ違ったり、教室内でたまに目があった時のあの雰囲気が一変した。相変わらず、咲ちゃんは女の子らしく振舞っているのに私と目があった時だけはあの頃の咲ちゃんに戻った気がした。何度か、学校内で話すチャンスもあった。ただ、それだけのことが、こんなにも嬉しいこととは思わなかった。約束した一週間後が楽しみだった。

 咲ちゃんが家に来た。来る途中、中学生の時そのままのじゃれあいをしながらやってきて、家に着いてもケラケラ笑いっぱなしだった。咲ちゃんが昔のように「ちゃん」付け呼ぶのを嫌がったり、私をくすぐらせて困らせたり、バカみたいな話をしたり……心地よかった。なくしたものが、ようやっと手元に帰ってきた感じだった。世界には私たち二人しかいない。そんな気分だった。不思議だ。こんなことを想う相手ではないはずなのに。
 部屋に入り、帰りに買ったお菓子とジュースを広げる。それらをつまみながら、部屋にある漫画や雑誌を引っ張り出して、しばらく二人で談笑しながら時間は過ぎた。
 話を先に切り出して来たのは咲ちゃんの方からだった。
「この間の話、覚えてる? 」
「うん、言ったら嫌われるって、柄にもなく女々しいこと言ってたよね」
 咲ちゃんがちょっとだけ笑う。
「うん、そのこと」
「何なの? 」
「あのさ……まだ、来てないんだよね」
「何が? 」
「生理」
 咲ちゃんの告白に、一瞬思考がついてこなかった。
「に、妊娠したってこと? 」
「違うの……今まで、来たこと無いの」
「今まで? 」
「そう、今まで。ずっと」
 私の部屋に沈黙が流れる。黙ってても埒が明かないので私からそれを破った。
「病気……とか? 」
「違うの……変だなって思ってね、高校入ってすぐに病院に行ったの。それで、色々検査して、でも体のどこも悪くなかったの。健康そのもので」
「じゃあ、なんで? 」
「遺伝子の検査をしたの。そしてら、染色体がXYじゃなかった……」
「どういうこと? 」
「つまり……遺伝子的には男だったってこと、お医者さんに言われたの」
 理解できない。あり得るのか、そんなことが。だって、咲ちゃんの見た目も、振る舞いも、声も、完全に女の子にしか見えないのに。
「ごくたまにあるんだって。私の場合は本来ある男性器が未発達で……生まれた時には気づかれなくって。で、女の子として育てられて……女子校に、入って……でも、今から男になろうとしても、無理なんだって」
「なんで」
「性器が未発達なままだから……機能しないんだよ、ほとんど女みたいなもんなの、でも本当の性別は男で……」
 咲ちゃんが肩を震わせている。
「私が男だって分かってから、お父さんとお母さんがすごく喧嘩してた。当たり前だよね、私だってワケが分からないもん。でも、お父さんもお母さんも、私を責めないの。お互いを責めるの。お互いの……遺伝子が悪いんだって、責めるの。お互いの育て方が悪いんだって責めるの……どうして「誰も悪くない」って言ってくれないんだろうね……」
 気がついた時には、私は咲ちゃんを抱き締めていた。胸にしがみついて、咲ちゃんは咽び泣いた。
「変だよね……遺伝子的には男なのに……ホルモンバランスは女なの……体は中途半端に男で、頭は完全に女なんだよね……もうさ、自分が分からなくってさ、お父さんとお母さんの喧嘩聞いてたら……聞いていくうちに……もっと分からなくなって、気がついたら……親の目の前で、髪の毛を切ってた」
 咲ちゃんが、髪をバッサリ切った日のことを思い出した。美容院で切ってもらったにしては、ザンバラすぎておかしいとは思っていた。あれだけお洒落にしていた咲ちゃんにしては、あまりにも無骨すぎたのは、素人目に見ても明らかだった。だから、あれを「イメチェン」と簡単には判断しかねたのだった。
「理々子……こんな私でも、好きでいてくれる?私が悪いだなんて、言わないでいてくれる?嫌わないでいてくれる? 」
 咲ちゃんはぐちゃぐちゃになりながら呟いた。
「なるわけない。たとえそういう事実が分かったとしても、咲ちゃんは咲ちゃんだ。変わって無いってこと、知ってるし、分かってる。でも、もしそれが理由で、他の子が咲ちゃんのことを嫌いになったとしても、そういう奴らとは結局それまでの関係だったってことで割り切ればいいんじゃないかな。言いたいやつには言わせておけばいい。自分が生きたいように、多少はワガママに生きてもいいんじゃないかな。誰にだって、自分の好きな生き方を生きる権利はあるハズだよ」
 咲ちゃんは力なく笑い、ぐちゃぐちゃの顔のまま何度も
「ありがとう……ありがとう……」
 と言っていた。私は、そんな咲ちゃんを抱き締めて艶やかなザンバラ髪に顔を埋めているしか出来なかった。髪からは良い香りがしていた。

 翌日の朝礼はいつもより少し遅かった。咲ちゃんは不安げな表情で、先生と共に教室に入ってきた。「起立、礼、着席」の掛け声の後に、先生が口を開く。
「今日は皆さんに大事なお話があります。咲さんは、今までずっと皆さんのクラスメイトの一人でしたね。実は、咲さんがここ最近の検査で、遺伝子的に男性であることが分かりました。まれなことなんですが、ごくたまにこういった出来事が起こるんです。でも、心配しないでください。咲さんは、ずっと女性として育てられてきており、心も女性です。身体もほぼ女性に近いので、退学ではなくこの学校への在学を継続という形を取りました。先生はとても嬉しく思います。皆さんも、咲さんとこれからも変わらず仲良くしていきましょうね」
 信じられない。怒りと呆れで拳がどうにかなりそうだった。いつもと変わらないのならわざわざ言う必要なんかないだろ。周りを見てみろよ。みんなの顔を。本当に納得してると思うか?
 咲ちゃんは。咲ちゃんの気持ちはどうなるんだよ。

選択授業で私と咲ちゃんはバラバラになっていた。私は理科室で科学、咲ちゃんは授業が無く空き時間だった。私が授業を終えて渡り廊下を歩いていると、いつものメンツと倉庫裏に行く咲ちゃんを見つけた。きっとあのことを話すのだ。心の中で、咲ちゃんの健闘を祈りながら、私はその場を後にした。
 次の授業は合同授業だったのだが、咲ちゃんは戻って無かった。他のメンツも、数人を除いて同じだった。何故か皆表情が重く、様子がおかしかった。気にしないでいると、教室に誰かが駆け込んできた。先生が怒って声をあげようとし、やめた。駆け込んできたのは咲ちゃんの友人の一人で、血まみれだった。
「せ、先生……」
 力が抜け、その場にへたり込むと、その子はか細く呟いた。
「さ、咲が……」

 咲ちゃんは倉庫裏に彼女たちを呼び出した。もちろん、あのことを話すため。告白に対する反応は冷酷極めるものだった。
「男なのに女子校にいるつもり? 」
「キモいんだけど」
「ねぇ、なんで早く辞めないの? 」
「どうせヤラシイこと出来ると思ってるんでしょ」
「マジあり得ない」
「早くやめろよ」
「やめろよ」
「やめろよ」
 何も言わずに堪えていた咲ちゃんだが、もう限界だったのだろう。どこかで、人生、生活の全てに踏ん切りをつけたいとずっと考えていたのだろう。私が言った言葉もむなしく、咲ちゃんは感情の高ぶりを抑えきれずにその場にあった鉄パイプで相手を殴った。頭に一撃。倒れこんだ友人を見てビビった他の友人たちは逃げた。逃げながら、後ろを振り返ると、咲ちゃんがその鉄パイプで自分の頭を殴った。ザンバラ頭を赤く染め、咲ちゃんは地面に倒れた。
 事の顛末を、逃げてきた子の一人から聞き、居ても立ってもいられなくなった私はその子を突き飛ばした。尻もちをついておびえる彼女はきっと先生に告げ口するだろう。構わない、気を紛らわせたいだけだったのだ。

 咲ちゃんが殴った子は、幸いにも軽傷で済んだ。数日後には頭に包帯を巻いた状態で登校し、自分の不幸話を友人たちと繰り広げた。その日、先生が朝礼で話をはじめた。
「みなさん、昨日の出来事からミキさんは軽傷ですぐ退院し今日登校出来ましたが、咲さんは病院で懸命の処置の結果……今朝、亡くなりました。」
 ザワつく教室内。私はため息をつくことしか出来なかった。その後も先生は美辞麗句を並べて、咲ちゃんがいかにいい生徒であったかを語っていた気がするが、どうでもよくなってそれ以降ほとんどは聞いていなかった。「お前が殺したんだ」とも思ったが、それも、もう、どうでもよかった。
 朝礼が終わった後、みんなの噂は絶えなかった。咲ちゃんが実は漫画やアニメが好きだったこと、きっとそれのせいであんなことをしたんだと、頭に包帯を巻いた子を中心に話は広まった。聞きたくもない悪口を聞くのが嫌で、部活メンバーのところへ行った。すると、漫画好きの友人が
「あの子があんなことしたら、また両親たちに『ホラ、やっぱり漫画は良くない』とか説教されるんだよ。うっとうしいなぁ」
 と語っているのを遠目に見た。うんざりした。

 気がつくと、私は荷物を持って黙って教室を出た。みんなは話に夢中で私に気付かない。廊下を出て、職員室の前を通る。たまたま出てきた先生が私を見て何か言ったが、聞こえない。玄関の靴箱で靴を履き替え、校舎を出るまでに十分とかからなかった。ひたすら歩いて、誰もいない家に着く。後ろ手にドアを閉めても、虚無感は拭いきれず、涙すら流せないことがただただ、悲しかった。


forぱりちゃん
お題「天然活発な少女と僕っ子少女との百合」

あまり百合感は無い……
「ブロマンス」ならぬ「シスロマンス(?)」といったところか。

2014年9月8日公開
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>

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