#54 循環時空の庭園
子どもの頃に、説明のできない体験をしたことはないだろうか?
あれは、私が幼稚園生くらいの頃。
祖母がカナダのウィスラーで仕事をしていた関係で、両親と従兄弟家族と共に夏休みを利用して祖母へ会いに旅行したときの話だ。
久しぶりの再会を喜び、家族一行でとある素敵なレストランでランチをすることになった。
そこは、古くから建っている立派な洋館をそのままレストランとして営業している場所で、イギリス風の素敵なお屋敷の裏手には、森に囲まれた見事なイングリッシュガーデンが広がっていた。
祖父母に私と両親、そして従兄弟2人と叔父・叔母の夫婦と大所帯だったので、涼しげなパラソルが立てられた庭に面したテラスに大きなテーブルと椅子が並び、そこで美味しい昼食を食べていた。
真夏でありながら、高原地帯ならではの涼しげな風に吹かれて、眩しい日差しが差し込む中、私と従兄弟2人は早々にお腹がいっぱいになった。
幼い内というのはすぐに満腹になり、会話を楽しみながら食事しているつまらない大人達の場を抜け出して遊びたくなるものだ。
叔母に言われて、私と従兄弟達で裏手の庭を探検することにした。
5歳前後の小さな子供にしてみれば、あの庭はとても広大で迷路のようでもあった。私たちは花々の咲く花壇をいくつか過ぎて、庭の奥へ奥へと進んでいった。
男2人兄弟の従兄弟のうち、特に冒険心の強い私より一つ年上の長男が庭の先で隠れた道を見つけた。
ちょうど小さな子供が通れるくらいの草木のトンネルを抜けると、少し開けた場所に繋がる。
振り返ると、先ほどのトンネルの横には簡素な木製の階段があり、別の道から繋がっているようだった。
「あっ、見て!」
従兄弟の長男が指を指す。
その先には、大きなネズミの死体があった。
ネズミは、腹の部分だけが齧り取られており、そこを中心に砂粒のように小さな虫達が這い回っていた。何かの肉食動物に襲われてしまったのだろう。
「うわー」
「気持ち悪いね」
と従兄弟達と話していると、背後でガサガサという音が聞こえた。
振り返ると、草むらの中で大きな角を持った牡鹿がこちらに背を向けて歩いている姿が見えた。鹿は瞬く間に深い森へと姿を消していく。
子供心に、あまりにも深く自然の領域に踏み込んでしまったと全員が無言のうちに思い、元の場所に戻ろうということになった。
少し先に道が続いているように見えたので、私たちは歩いていった。
しかし、屋敷の方へ向かっていたはずなのに、いつの間にか私たちはまた先ほどの開けた場所に辿り着いてしまった。
さっき見たネズミの死体がある。
また、背後の草むらでガサガサと音が鳴り、振り返ると牡鹿の後ろ姿が見えた。
「早く戻ろう」
そう言って先程歩いた道を行き、今度は違う分岐点で曲がって進んでみた。
ネズミの死体がある。
そして、草むらには去り行く牡鹿の後ろ姿。
また違う道を進む。
ネズミの死体。
牡鹿の後ろ姿。
違う道へ。
ネズミの死体。
牡鹿の後ろ姿……
私たちは段々と怖くなっていった。
先程までふざけながらお喋りしていたのもすっかり忘れて、黙り込んでネズミの死体の前で立ち尽くしてしまう。
「にいちゃん……」
私より一つ年下の従兄弟の弟が不安げに声を漏らす。長男は考え込む様子で呟いた。
「ミステリーだ」
先程辿った道を思い返しながら、地面に拙い地図を書く。違う道を選んで、小高い丘の洋館を目指しているのに、いつの間にか下に降ってここに辿り着いてしまう。ワケが分からない。
「お母さーん、お父さーん」
と叫んでみる。きっと誰か助けてくれる。
しかし、不気味なネズミの死体の前にずっといるのは怖い。私たちはまた歩き出した。
何度目か分からないネズミの死体。
そして去り行く牡鹿の後ろ姿。
先程まで余裕そうだった従兄弟達にも、流石に不安の色が滲み出ている。
もう一度叫んでみる。
「お母さーん、お父さーん」
ややしばらくして声が聞こえてきた。
あの草木のトンネルの横にあった木製の階段から叔母が降りてくる。
「どこ行ってたの?もう帰るよ」
私たちは叔母に連れられて、無事に庭を脱出することができた。
単純に、まだ幼かったからたまたま同じ道をグルグルと回っただけかもしれない。
しかし、そうだとすると毎回現れる牡鹿の後ろ姿の説明がつかないし、大人になってから従兄弟達にこの話をしたところ、2人ともまったく覚えていなかった。私はこんなに鮮明に覚えているのに。
でも、レストランのテラスで撮影した家族写真が残っているし、大人達は私たちが庭で遊んでいたことも覚えている。
私は子どもの頃からぼんやりした性格だったので、ひょっとしたら白昼夢でも見たのかもしれないし、そもそも庭にすら行かず眠りこけて夢でも見ていたのかもしれない。
でも、これ以上なくリアルな質感であの日見たネズミの死体も、牡鹿の後ろ姿も、従兄弟達の声や表情までハッキリと覚えているのだ。
もしかしたらあるいは……
そもそも私が従兄弟達だと思い込んでいた彼らこそが、あの循環する庭園へ誘った不可思議な存在だったのかもしれない。
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