もう、どうしようもない。【希死念慮】

私は元気だと思う。
元気でなければおかしいのだ。
私は、五体満足で生きているし、
大学にも通わせてもらっている。
恋人はいないけれど、
信頼できる友人がいる。
ずっと共に歩んできた親友がいる。
音楽で繋がるサークルというところに居場所がある。
ネットでも好きなことについて話し合える方がいる。

私は幸せ。
何不自由ない。


けれど、ふとした瞬間に不安に襲われる。
怖くて、苦しい。


せっかく大学に通わせてもらっているのだから、
真面目に学問に取り組みたい。
単位を確実に取り、
自分で興味のある分野を調べて、
何か新しい知識が欲しくて、
図書館に通っている。


でも、みんなみたいにバイトをしていなくて、
バイトの面接日程まで決めたのに、
不安で仕方がなかった。
バイトの面接日が近づいてきて、
不安で、怖くて、動けなくなりそうだった。
大学にも行けないのではないかと思うくらいに、
不安定になった。
あきらめた。


何も私は不自由でない。
しかし、希死念慮が生じる。
おかしいので、希死念慮を否定する。
死にたくなるのはおかしい。
そんな理由がないはずだ。
苦しくて泣くのもおかしい。
そんな理由がないはずだ。
疲れて活力が無くなって動けなくなるのもおかしい。
そんな理由がないはずだ。


カウンセリングを勧められたこともあったが、
おかしいのは私の根本的なところで、
自分で分かっているから、
それを指摘されるのが怖かった。
「もっと頑張ればいいのよ」
そう改めて他人に言われることが怖かった。


仮にも、私の希死念慮が私の根本の問題でなかったとしたら、
私のせいじゃ無くなるから、
楽になれるな、
と思う。

だが、そんなわけがない。
私は頑張っているつもりだけど、
評価するのは私ではなく、他人だ。
私はまだきっと甘い。
苦しい、と思うことが甘すぎる。
世の中にはもっと苦しい人がたくさんいる。
甘えたことを言っている場合ではない。



でも、苦しい、と思うこと、
その感情は事実で、
辛くて、希死念慮に悩まされているのも
事実だ。
嘘だと思いたい。
私が悪いから、今すぐ自分で修正できる、
はずだ。


私はどうしたらいい?


希死念慮に従って、死ぬのか?
無理に決まっている。
死ぬことは怖いだろう。
死体の処理は誰がする?
汚れた場所の掃除の資金は?
また、両親に迷惑をかけるのか?



自分で、しっかりするしか、
今は方法がない。
でも、どうしようもなく、
苦しい。


私は、どうしたらいい?

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