藤井さん負けたのか!?

と思ってしまう異常事態である。

舞台はB級1組、相手は名人挑戦経験もある昇級候補の稲葉八段。
いや、全然普通に負けたっておかしくないのである。

ABEMA中継をしっかり見ていた訳では無いので偉そうなことは言えないが、
(しっかり見ていても偉そうな事は言えない)

終盤戦の稲葉八段の集中力、指し手は見事だったんじゃないのかと思う。
正直スマホのABEMA20%、テレビのロジャーフェデラー80%くらいの感覚で観戦をしていたから尚更ろくたらわかっちゃいないが。

私の藤井二冠に対する思いは不思議である。
基本的に普段、天邪鬼なアンチヒーローを気取っているが、なんて事はない。

古くから、ロジャーフェデラー、ミハエルシューマッハ、武豊、羽生善治、イチロー、中田英寿、大谷翔平、井上尚弥にキャッキャキャッキャ言ってるミーハー人間である。(筋金入りのアンチ巨人ではある)

これで藤井二冠が生意気、態度が悪い、不遜、天狗、などの兆候が見えれば、
気に入らない!
と胸と虚勢を張って言えるのだが、
あそこまで、すべてを完璧にこなし(少なくともそう見える)てしまうとケチをつける方が、おかしい。難癖以外の何物でもない。

ヒーローとしてちょっとの期間君臨して頂いた上で、近い将来、独占禁止法などのカドにより、ラスボスとして並み居る後輩、ベテランの前に立ちはだかって欲しい、と心から思う。

ただ、基本的に、藤井二冠の対局中、私は、あまり藤井二冠を応援していない。
主な理由を自分なりに考えたところ、2つ。

1つは簡単。若すぎる。前々回の記事に書いた通り、私は年長者に肩入れしてしまう癖があるからである。
藤井クン。君は強い上に若いんだから今後、無限のチャンスがあるじゃない。おとなげが、、いや、若者げがないんじゃないの?
そんな気持ちもある。

もう一個。
多分、藤井二冠の珍しい姿が見たいのである。
それは、別に、プライベートを覗き見したいわけではない。
何食べたとか、学生時代の友人と何してるとかそんな事はどうでもいい。

藤井二冠の、悪い局面で苦しんでる姿、負けを察知してうなだれてる姿、ここで投了した方が良いのか、形式テンパイ、もとい、形づくりなど気にしないで詰まないのを承知で王手ラッシュをかけても良いのか迷ってる姿。
投了後のがっくりした姿がたまらなく愛おしいのである。
と、書いてみて自分でもとんでもなく悪い大人だな、と思うが、まあ、いい。

それほどまでに、藤井二冠の負け姿はレア物なのである。
そらもうこんな珍しいものを観れて幸運だった、と思ってしまう程の勝率なのである。
責任は藤井二冠にある。

藤井二冠に勝ちそうになった相手の姿も、また、良いのである。
相手はあの藤井二冠である。
ABEMAで99%対1%の数値だけを見て、おお。負けた負けたと知ったかぶりをしている私のような素人視聴者とは違う。

どこかに罠はないのか、実はこの局面、負けているのでないか、そう疑心暗鬼になりながら、秒に追われ決断の一手を何手も何手も紡いで行った先にしか藤井二冠戦での勝ちはないのである。

実際問題、これは想像だが、昨日の投了図、
稲葉八段は自玉に詰みがないことを99,999%確信していたんだろうとは思う。
ただ、0.001%詰みがあるのかもしれない、藤井二冠が王手ラッシュをかけてきた時に、それが読みにない王手だった場合、1分将棋で自分が受け損なって、詰まされてしまう可能性も何%かはあるかもしれない、と思っていたのではないだろうか。

ABEMAの評価値99%を見てる我々は稲葉玉に詰みがないことを知っているが、対局者にとっての0,001%は実現した時点で100%である。

藤井二冠が投了するその瞬間まで生きた心地はしなかったのではないだろうか。
そう意味では私のような意地汚い未練がましい素人には、王手せずに投了したのは意外だった。

私の矛盾した感情であるが、
上記のように藤井二冠が負ける姿を見るのが好きな悪趣味さと同時に、
タイトル戦で戦う藤井二冠がたくさん観たいし、A級順位戦で戦う藤井二冠が早く観たい。
いや、じゃあ、勝ってもらわないとダメじゃない。
という話でしかないんだけど。

まあ、この田舎のアラフォー素人がこんなところで、勝てだの負けろだの騒ごうが、一切なんの影響もなく、藤井二冠は適切な努力を適切な量自分に課し、適切な言葉を選びなから不適切に勝ち続けていく事は分かってるので、まあ無責任なものである。


昨日のロジャーフェデラー、カッコ良かったなぁ。。
自分よりも年長のアスリートがフィジカルを山ほど必要とされるスポーツの超第一線で、ほかの誰よりも、
美しくドラスティックなプレイを続ける。
贔屓だから、を差っ引いたとして、世界で一番ワクワクするプレイを今もする。
もちろん勝ったら嬉しいし負けると悔しいが、それを超越した、ただプレイを観れる幸せを感じ、プレイしてくれることに感謝してしまうテニス界唯一無二の存在である。

私の中では将棋界において、いや他の全ての競技を合わせても他に同じ形容が当てはまるのは羽生善治九段のみである。

何十年後かに、藤井二冠も同じように、成績への驚嘆と同時に、存在への感謝を受ける人物になっているのであろうか。

その時に、私は老害丸出しで、
藤井クンが出てきたころはね・・・。
と苦々しい顔の若者相手にしたり顔で演説をかます元気なじじいになっていたい。

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