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恋人がアボカドにハマった

すごくハマっている。

私はもともと好きだったのでよく買ってきていたし
彼も嫌いではないようなので昔から一緒に食べていたのだけど
先日、酒のつまみに出したアボ刺しが彼の中の何かを変えたようで絶賛しながら食べていた。

調理法によってこれまで何気なく食べれていた食材が
一瞬で”嫌いな食べ物”に分類されてしまう。
アボカドに色々な食べ方がある分、
その可能性を孕んだ食材だとおもっていたので
私は自分の好物であるアボカドの食卓登場回数を守るべく
毎回安パイであるアボ刺しを彼に提供していたのであった。

しかし今回ばかりは少し様子が違っていたので
これはいけるのではないかと
翌朝、朝食にアボカドチーズトーストを出してみたら
昨日のアボ刺しの余韻を噛みしめながら幸せそうに食べてた。
私の勝ちだと思った。

♢♢♢

その日を境に彼は自分からアボカドを買うようになった

「今日は2個買ってきた」

「切ったけどまだ固かった、、、」


アボカドに一喜一憂している。
充実したアボカドライフを過ごしているようだ。

しかしここでわたしが話したい事は
アボカドを食べる恋人がかわいいなどという
ありふれたノロケ話ではない。

ハマるという感覚についてだ。

彼の様子を見てて、
自分が長らく"新しいものにハマる"
というワクワクを抱いていないことに気づいた。
というより"初めから知っていた風を装う"ことが多くなっていたのかもしれないと反省した。

知ったかぶりとは違う、
"予備知識だけ豊富にあるにわか"
と言ったところだろうか。

誤解をして欲しくないので補足しておくけど、この事は決してネガティブな面だけではないし、そういうのを批判をしている訳でもない。この情報化社会で情報をいち早く知り得た者が勝ちと言わんばかりの熾烈なマウントファインティングから逃れる術として自然に身についた人も多いと思う。
情報を先取りしておくことは大事なことだと思います。

ろくに物事の本質には触れず、
知っているか知らないか、そこにひとさじの自論を添えて終わる会話は嫌いなのだが、
悲しいことに私たち2人の間でもよく起こる。
言葉のキャッチボールって知ってる?
って聞きたくなっちゃうよね。
(喧嘩売ってんのか?)(売ってません)
なんでそんなに粋がるんだろうと思うことも多いと思います。
ホントお疲れ様です。
(喧嘩売ってんのか?)(売ってません)

他人と競いあうように新しい情報を我先にと知り得て、マウントも取られない、話にも乗り遅れない"待避所"のような場所に居るせいで、なんだか新鮮な気持ちで人に話が出来なくなっている気がした。

またひとつ、つまらない大人になってしまったなあ
みたいな漫画のセリフを思い出す。
刺さるー

アボカドのことなんて私はだいたい知ってる。
でも、アボカドを買って来ること、
奮発して2個も買ってきちゃうこと、
まだ美味しい時期じゃなかったこと、
新しい感覚を知りながら一喜一憂する姿が羨ましかったのでわたしもハマる楽しさの方に意識を向けてみようかな。
と思ったのであった。

〜完〜

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