深層心理を辿ることに似てる


私のSNSを辿る事は。
そんなふうにおもう。

TwitterやInstagramは所謂表層意識で、着飾っているし、気を遣っているし。今でこそnoteは比較的見つけられやすい場所にリンクしているけど元はクローズドな媒体だった。この変化は見つけられたい/見られたい欲ではなく、なるべく自分自身を表層面に一体化させたいという私なりに葛藤を乗り越えた自己表現の一つである。

やだもん本当は。
わかられてたまるものかと抱え続けた痛みを与えたスプーンひとさじ分くらいの表現で測られることが。その意図を自分の脳みそで考えず、与えられたスプーン一杯の味でしか物事を捉えられない人間に私の美学を理解されてたまるかと。

お分かりかと思いますがわたしは実はとても尖っている。それも自己表現の美学に対しては強火で過激だ。
椎名林檎が、いつか「女の子は心にマグマを飼っている」と言ったことがあるけどこれはわたしにも当てはまる。
わたしの表現なんて、自分の技術や容姿を利用して上手に世を渡っているように見えるかもしれないけどあれは全部ぜんぶぜんぶ皮肉である。
そう捉えたあなたの心の感度を、浅はかさを嗤って、いい気味だと眺めている。その顔面を凍り付かせるためにこれを書いてる。
そんな感じです。

はじめの用途に戻ってそんなことを書いてみました。
知らなくてもいいし、知ったところでどうも変わらないでしょう。私がなにも変わっていなくて、これらを抱え続けてこの瞬間まで生きてるんですから。
全て光に変えたくてもがいてるんですから。
この生きづらさ。生きることに不器用でカワイイわホンマ。


やっとやっと鬱屈な期間を抜け出しました。
私が怒りを露わにし始めた時が開戦の合図です。動機は全部愛であれ。わたしのために。そしていつか誰かのために。


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