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日本の教員として生きていくこと

元教員のぺらおです。
日本の教員として生きることを捨てた者です。

日本の教員で生きていくことは私にとっても、人間にとっても無理ゲーだと思う。
物理的にも精神的にも重圧がかかる職業。
終わりも見えない。先も長い。自由もなく、家族のことを考えることさえ悪になる。

そんな状況からさらに人がいなくなり、もっと一人ひとりに重圧がのしかかる。

先日、私が勤めていた学校の主任級の優秀な先生が休職した。
私の同期は「このまま一生特別支援がいい」と言った。

もはや担任をすることが「損」だと思われている。

私は教員時代「担任はしたくない」と言った先輩教員に腹を立てた。
「小学校教員になって担任をしたくないって言えるなんて、教員として価値がないよね。やめるべきだ。」と思っていた。

現在の様子を見る限り担任をすることはただの「損」
なまじ担任なんてできてしまう人が一番損だ。

担任を任せられない人がいる。
その人は常に担任という仕事を与えられず軽い仕事をして、わたしたちより高い給料をもらっている。
それが許されるのであれば、担任なんて「損」でしかない。

能力が高いが故に潰されるのだ。
そんな世界が許されていいのか。
優秀な人が潰され、熱意を失わせる環境が子どもにいいわけないのに。

でも、私はどうしたらいいかを考えられないでいる。
この大きくなりすぎた組織をどうしたらいいのかわからなかった。
私は辞めることで抗議をした。
でもそれで苦しむのは結局現場の先生なのだ。

優秀な先生が休職する。
それが他の教員に与える影響はでかい。
抜けた分も私が支えようと思うことは難しいだろう。
私なら「こんな状況から逃げ出したい。自分も潰れる前になんとか逃れたい」こう思うだろう。
カバーできてしまうと、まわりからは
「あ、できるんですね。ではそのままお願いします」と助けてもらえなくなる。
違う、必死で支えてるんだ。
でもこの苦しい状況から抜け出したい。
でも、そんな甘いこと言ってはいけない。
そうなる。

主任が休職したあとの先生たちはいったいどういう思いで月曜日を迎えるのだろう。
その心細さを子どもに出すことはできない。
管理職に言ったところで意味がない。
管理職も手が足りない。
講師は来ない。
完全に詰んでいる。そんな世界だ。

これは人間特有のネガティブに捉えてしまう思考ではない。
現実に起きている教育の現状だ。

まだ6月だ。3月まで先が長すぎる。
私の考えでは2学期以降に2名は休職する。

そうなったら学校はまわらない。
私はそれを助ける気もない。
申し訳ないけど、戻ったところでやっていける自信もない。
みんなそう思っている。

現場が苦しすぎるのだ。
どうしたらみんなが楽になれるのか。
私は考えることをやめた。


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