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かけくらべ

理性と感情は駆けくらべをしている。

理性のほうが足が早いから、いつも先回りして答えを出す。

「こう考えるのが得策」「どうしたってそうなるから」「そこに足を取られるのは無駄なこと」

そんなふうに言って、感情の歩みを止めてしまう。


でも、感情はそれを望んでるわけじゃない。

たしかに、感情はどこかに落ち着きたい生き物だ。だから答えを知りたがっている。

けれど、答案用紙に書かれたような、たった一言が欲しいわけじゃない。ゆっくりと、周り道かもしれないけれど、納得への通り道を一歩一歩踏みしめたいものなんだ。

一足飛びにたどり着いたそこは、納得に重なるはずの地点でありながら、まるで遥か上空にある納得を見上げるような格好で、感情はぽかんと口を開けるしかない。

理性は感情を待ってやる必要がある。後ろを歩く妹をときどき振り返るようにして。

ふたりが足並みを揃えたとき、感情は理性の落ち着きを、理性は感情の満ち足りを、おのおの我がものとして享受できるようになる。


感情がざわざわと泡立つとき、そこに置き去られて凝り固まった石塊が、あるいは燃えきらず燻りつづけた残火が、理性の振り向きを待ちわびている。

この泡立ちはときに、理性から見える世界すら歪めてしまう。なぜならふたりは、水面下で視界を共有してきた、切っても切れないきょうだいだから。


理性の足は早い。ならばもっと早くなったらいい。感情を置き去るんじゃなく、一周まわって追いついて、感情の泡立ちを見つけて、それが作り出す歪んだ世界の構造を解読するまで行けばいい。

それができたらこんどは地図を描いて、その世界からの脱出路へと感情を導いてやらなくちゃ。そうしてさいごに地図を破り捨てて、なあんだ、ただの切り株だったねって笑い合うんだ。

迷いの森、妹の手をひいて、悪魔のおおきな口の外へと。

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