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Pasco

高校2年生の春
アメリカにある小さな街Pascoで2週間ホームステイした。たった2週間だったけど、この2週間が私にとってどれだけの自信になり、誇りになったことか。

あれからもうすぐで5年が経つ
恐ろしいほど時が経つのが早くて、当時は想像ができなかったほど世界の状況も変わった。私の人生もそれだけ進んでる。だけど、Pascoでの想い出は5年前から止まったまま。

本当は、本当に大学1年生の時に再び訪れるはずだったのだ。そしてそのことを伝えてもいた。なのに、そんな状況ではなくなってしまった。外国どころか家すら出られなかったのだから。私は大学生になったらまた会える!と楽しみにしていただけに、とても悔しくて、残念で、やり切れなくて。でも、どうあがいたって無駄。親からも残念だったね、と同情されるけど、それが余計に残念さを加速させた。

でも、その代わり、ずっとvideo通話とかLINEとか、メールとかホストファミリーだけでなく、バディとも、さらに学校で仲良くしてくれた友達とも5年間連絡を取り続けられている。もう忘れられてるかもしれないって思っても、Instagramで何か投稿すると必ずいいねをくれたり、コメントをくれたりする。それに、バディに関してはSNSが普及したこの時代に、季節のイベントや誕生日に手紙を送りあっている。手紙が来るとそれはもう嬉しくて仕方ない。活字では伝わらない、その人の手で書かれた字は、込められた気持ちとともに私のところまで届く。

Pascoにはこんなにも温かい人たちが多いのだ
この時出会った人たちがどれだけ優しくて、心が広い人たちなのか、5年間ですごく感じている。英語もまともに話せない日本人を忘れないで気にかけて、連絡を取ってくれているのだから。こんなに嬉しいことはない。

親愛なるバディ
私はバディの存在がホストファミリーと同じくらい大きかった。日本人はシャイだって言うけど、バディは多分日本人よりシャイだった。最初は隠れてなかなか話してくれなかった。だけど、着いて2日後、学校に一緒に行くようになってから、妙にお互いの波長が合うことに気がついた。私はバディが言ってる事の半分(もしかしたら半分以下かもしれない)しか分かっていなかったと思うけど、なぜか彼女と話してると気が楽だった。それに楽しかった。本当に優しくて、気遣いができる女の子なのだ。
2週間で大親友になって、だからこそ、別れ際は本当に悲しかった。こんなに別れって悲しいものなのだと多分初めて知った。
日本に帰ってから連絡を取り続けていくうち、お互い大学生に。示し合わせたわけではないのに、2人とも専攻が全く一緒だった。驚きと嬉しさと。海を越えたアメリカと日本で、たった2週間しか一緒じゃなかった大親友と専攻まで一緒なんて。こんな奇跡ってないんじゃないかな。

Pasco
2週間私を受け入れてくれたPasco。人が温かいからか街全体もとても穏やか。Pascoで買った様々な物たち。どれもが私にとって一生の宝物と言ってもいいほど大切なものになっている。そのうちの一つがリュックだ。もしかしたら、Pascoじゃなくてもアメリカだったらどこでも売ってるのかもしれない。だけど、私にとってはPascoで買ったリュックだから意味があるのだ。高校生の間は想い出としてずっとそのリュックを背負って学校に行ってた。でも、大学生になって、そのリュックがかなり派手であることから、あまり背負わなくなってしまった。
だけど、今2年間くらい背負わなかったそのリュックを再び使っている。なぜか。私は今多分人生で頑張らないといけないポイントの一つに立っている。頑張らないといけないのに頑張れない。そんな自分が本当に嫌で、嫌気が差してた。
その時、ふとPascoで買ったリュックを見て、また使おう、と思った。なぜか分からなかったけど、使ってみたら自然と私を大きくしてくれてるのに気がついた。私に自信をくれ、成長させてくれたPascoでの想い出とともに、日本で頑張っていく。また前を向かせてくれた。

Pascoでの2週間は私にたくさんの夢と、自信と希望と、そして大切な人に会わせてくれた、貴重な時間だった。2週間の出来事が5年経っても活き続けて、私をちょっとずつ大きくしてくれてる。

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