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命の予感

以前友達が「私、将来ニートになってゴミ部屋に住んでそう」って言っていた。もちろん、全然そんな感じの子ではない。でも、なんかそんな感じがする、と言っていた。周りは、私も含めて「何それー!絶対そんなことないよ!」と言っていたが、その友達は「皆ない?将来こうなってそうって予感、あるでしょ?」と聞いてきたが、皆「んーないかも笑  考えたことないよ」と言っていた。私もその時はないし、考えたこともない、と言ってしまったけど本当はある。むしろ、私のこのずっと前からある予感は皆にはないと思っていた。だから、この友達がこう切り出した時は正直驚いた。

私がなぜ、この時ないと言ってしまったのか。それはちょっと残酷で、声に出すと現実になってしまいそうだったから。でも、書くことは出来る気がする。それに、書きたくなった。

私の将来の予感、それは「早死しそう」ということ。しかも、病死。事故死な気がする時もある。どちらにせよ、同年代の人より早く死ぬ気がするのだ。

よく自分の死に方に対して考えることがある。なにも、死にたい願望がある訳ではない。だけど、早死しそうだなぁと思ってるし、死に対して極度の不安があるわけではない。どうせ、人間は死ぬ生き物だし、って割り切っている…と思っていた。
だけど、この前気づいた。私は死を恐れているということを。

何もかも上手くいかなくなった時、ふと、投げやりになって父にわーわーわめいた後に、相手にされずに素っ気ない態度を取られたから「もう死ぬ!」って言ったのだ。そしたら、父が「死ね死ね〜」って言ってきたのだ。それはもう衝撃だったが、父は私がそう簡単に死ぬはずがないと分かっているから言っているのだ。もちろん、私もそんな簡単に心が折れてじゃあ死んでやる!ってなることはないのだが、マンションの廊下を歩いてる時にここから飛び降りたら、死ねるのだろうか…とか、家帰って包丁持って首に刺したら死ねるのだろうか…と自然と考えていた。でも、それと同時に私が自殺したら多分母も死んでしまう、それに友達もショックを受けるだろう、と考えていた。そして、どんなに追い込まれても出てこない涙がこの時は、自然と出てきたのだ。
この時私は死を恐れている、と初めて感じた。

私が早死しそうと感じるようになったのはいつからか分からない。だけど、小学生の頃には意識していたような気がする。

だって、小学2年生くらいの時に、お気に入りの猫のぬいぐるみ(今も変わらずお気に入り)に向かって、一緒にお墓入ろうね、と話しかけていたから。なぜこんなことを覚えているのか分からないけど、そう言ったことも、母にこの子と一緒に火葬してと言ったことも覚えてる。他のことはそんなに覚えてないくせに、なんでこんなことをはっきりと覚えてるのか、、本当に不思議だ。

早死するかしないか、そんなのは神様しか分からないけど、こう予感しているのだから、やりたいことはやっておきたいと思っている。常に予定が詰まっているのはこの気持ちのせいなんだが、その時にやりたいこと、やるべきことは今すぐにでもやっておきたい。そして括弧書きにいつ死ぬか分からないからという言葉が続く。

私が死んで悲しむ人はどれくらいいるのか。分からない。だけど、死ぬ前に会っておきたい人は結構いる。私はクラスなど大勢の人と仲良くしないといけない環境は苦手だ。だからもしかしたら、他人より友達は少ないかもしれない。それでも、会っておきたい友達、先生、先輩、後輩…は何人も思いつく。私にとって大切な人がそれだけいるということ。これも少し意外だった。

私は1人では生きていけない。もしかしたら、早く死んでしまうかもしれないし、はたまた誰よりも長生きしてるかもしれない。分からないからこそ、今関わってくれてる人は大切にしたいし、自分の気持ちに素直でありたい。やりたければやる!やりたくなければやらない!仕事はこうはいかないだろうから、趣味の範囲に留めておくが、単純な思考回路持ったことに感謝しつつ、まっすぐに与えられた寿命を謳歌したい。

皆にもこういう将来に対する予感ってあるのかなぁ。

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