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不登校予備軍

「不登校」
私はこの言葉に少し敏感。苦手なテーマでもある。

世の中は不登校児への対応だの、不登校の子を持つ親向けの講演だの、不登校支援がありふれている。昔はなかった支援が増えていることには大賛成。でも、むずむずする想いも少なからずある。

なぜか。それは、私が不登校になり損なったから。
小学校5.6年生の頃、私はクラスとも先生とも全く上手くいっていなかった。自分のやることなすこと誰も聞いてくれない、先生なら聞いてくれるだろうと思ってたけど、聞いてくれやしない。それどころか、かまって欲しい私が少しはみ出た行動をとると嫌味タラタラの皮肉で怒ってくる。夜19:00とかに学校に呼び出されたこともあった。家庭の状況も、親は共働き、妹はまだ保育園児。妹を迎えに行き家族全員が揃うのは早くても19:00頃。帰ってきてからは夜ご飯作りや次の日の用意で私の話を聞く時間はごくわずか。バラエティ番組や漫画を見させてもらえなかった私はクラスの子たちとも話が合わず、孤立。始めは話が合わないで済んでいたけど、徐々に話しかけてくれる子もいなければ話しかけても無視されたり、裏でいろいろあることないこと言われていたり(それをあえて伝えてくるお節介な人もいた訳で、私もなぜか知る羽目に)、必然的にクラスの一軍のハブり対象に。

私はただ自分のことを必要としてくれる、認めてくれる人が欲しかった。でも、1番頼りたかった先生も残念ながら小5.6年は担任も持ち上がりで、上記の通り2年間まともに話を取り合ってくれる感じではなかった。

強いて言えば、小2から通っていた塾だけが私の居場所だった。塾の友達や先生は勉強以外の話にも付き合ってくれた。だから、心がもったのかもしれない。だけど、所詮塾。友達はライバル。居場所と言えば居場所かもしれないが、落ち着く場所ではなかった。

4年生までは学校がそれなりに好きだった。でも、5年の途中からは学校がつまらない場所、正直行く意味もないし、頑張って行っても誰とも話さない日々が続き、ついに、私は親に「学校に行きたくない」と言った。

今まで、親の言われた通りにしてきた。だから、これが初めての抵抗だった。当時のボキャブラリーと能力では、「学校に行きたくない」が精一杯の状況報告だったのに。親は、「は?何言ってんの。学校は行きなさい」と。だから違うんだって!って思ったけど、「学校に行きたくない」としか言えなかった。なんで、と聞かれても仲間はずれにされ、誰とも話せない、、なんてことはプライド的にも言える訳もなく。
学校に行かないと塾に行かせないと言われ、唯一の居場所である塾に行くため、しぶしぶ学校に行くようになった。行くようになったと言っても家を出ても行かない日もあったり、行くのが嫌すぎて、でも行けと怒られ、家出をしたり、そんなこともしていたなぁと。
とにかく、当時は大人不信だし、自分のことがなにより嫌いだった。なんでこんな人間に生まれたんだろう。もっと皆みたいになんでできないんだろう。私が上手くやればいいだけなのにできない私はなんて馬鹿なんだろう。自分を馬鹿で阿呆でダメな人間だと思っていた。ずっと心の底から最悪って思っていた。

小学5.6年の時の良い記憶はほとんどない。心の底から学校に行きたくなかった。行ったってクラスでいないものにされ、ものすごい孤独を感じる。あまりハブりはいじめと言われないけど、一種のいじめかもしれないんだな、と大学生になってから気づいた。

今は不登校に関してだいぶ理解が進んできた。だから今なら、当時の思いを伝えられるかも、と試しに親に言ってみた。しかし!!「学校に行きたくない」と「行けない」は別物だから、、と一蹴。うーん、まぁそうなんだけども、違うのよ。正直こりゃダメだと思った。もしかしたら、世の中にいくら不登校支援が増えても、不登校になってしまった子には少しは有効かもしれないけど、不登校予備軍には(親にも子にも)届かないのかもしれない、と。

おそらく、今の時代に私が「学校に行きたくない」と言っても、私の親は不登校支援の情報は調べないだろう。関係ないと思ってるから。

ここで、フォローを入れておくが、私の親がダメということではない。悪気はなく自然とこう思っている親御さんは他にもいるのではないだろうか。そして、その子どもはどんな思いをしているのだろうか。

今は、不登校児の居場所作りがホットなテーマな気もする。だけど、もし、学校に不登校の子がこれるスペースがあったとしても、私は行かなかったと思う。そこにたどり着くために、学校に行って会いたくもないクラスメイトに会うかもしれないリスク、あの子あそこ行ってるらしいよと言われるかもしれない恐怖、そんなことを考えると絶対に絶対に行けなかったと思う。それが学校でなくとも同じ。不登校支援のそういった施設に行ってるところを万が一、誰かに見られたら。知られたら…怖すぎる。人によると思うけど、私が欲しかったのは物理的な場所ではなく心の落ち着く居場所。

こんなことから、私は不登校支援自体は全肯定しながらも、むずがゆい気持ちがある。それゆえ、あまり関わりたくないと思ってしまう。できる人がやればいいのだから、無理に関わらなくてもいい。でも、どこかで私の想いを自分で理解してみたい気もする。

ちょっと突っ込んだ話で、書くのにもしばらく温めていた。だけど、急に書きたくなってしまった。だからどうしろって話でもないし、もしかしたら、考えが間違ってるかもしれない。でも、不登校予備軍の存在もいるんだよって言ってみたかった。

追記
私は自分でこの時のことは乗り越えた、と思っていた。
だけど、まだどこか乗り越えられていなくて。いざ自分の経験と向き合って話さなければいけない場面になった時、私は、無意識に「もうこれ以上何も聞かないでくれ」「私に何も求めないで」と願って、心拍数が上がって手が震えて…。自分の話だけど、自分の話だと思わずに話そうと決めてたのに、それが無意識の領域で許されなかった。
これでも、言葉で表現できるくらいにはだいぶ乗越えてきたし、中学高校、大学と十分すぎるほどの濃厚な時間が過ごせた。
それでも、小さなトラウマはふとした時に現れ、心を乱す。

いつになったら、何をしたら、このトラウマが消えるのだろう…

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