風の花嫁~ドイツ・スイス・イタリアの旅
学生時代、ドイツ語をかじっていた私は、夏休みにドイツ南部のフライブルクの街に研修に来ていた。
そこは黒い森、シュヴァルツヴァルトもほど近い、緑の美しい街で、学生宿舎からトラムに乗って大学の夏期講習に通っていた。
ヨーロッパからの学生が多く、ひと夏の仲間には、スウェーデン人からスペイン人からいろいろ。
だけど仲良くなったのは、ニコラとかロベルタとかルイージとか、イタリア人とかスペイン、フランスあたりの子たちが多かった。
講習の後、ユーレイルパスでヨーロッパ旅行を計画していた私は、ジェノバ近郊に住むロベルタの家に招かれたこともあった。
夢のようなカラフルな家々が並ぶ、チンクエテッレや、彼女の住むソーリの海水浴場で、海辺の教会の鐘の音を聞きながら海に入り、「コメ・ソーニョ…」(夢みたい…)なんて覚えたてのイタリア語をロベルタのパパに言って、笑われてたっけ…。
そんな昔々のヨーロッパ滞在中の、美術館見学で一番感激したのが、 オスカー・ココシュカの描いた「風の花嫁」という作品だった。
この絵を見るために、私はバーゼルへ赴いた。
その日のバーゼル美術館はとても空いていて、たった一人でこの絵のある空間を独占し、ガラスも何もかけられていないこの絵の前で、震えるような感動を覚えたことを昨日のことのように思い出す。
この絵に描かれた恋人たちは、
画家ココシュカ本人とアルマ・マーラー。
嵐のような風の中で、目を開けて空を見つめるような表情の男と、目を閉じて寄り添う女。
油彩の筆は驚くべき厚塗りで、絵の具が尖って波頭のように立っていて、誰もいないのをいいことに、そっと私はこの波頭の表面に触れようとしたことをはっきりと覚えている。
心がざわつくような、不穏で鬼気迫る気配を感じさせるような凄みがあり、まだ二十歳そこそこの娘であった私をも魅了した絵画だった。
以下、絵の背景については、専門家による解説を引用する。
作品概要
《風の花嫁》は、画家のオスカー・ココシュカによって制作された作品。制作年は1913年から1914年で、バーゼル美術館に所蔵されている。
ココシュカとアルマ・マーラー
1913年の春にイタリアへの旅行からオスカー・ココシュカは恋人のアルマ・マーラーとウィーンに戻ってくると、自分のアトリエの壁を真っ黒に塗り《風の花嫁》の制作に取りかかった。
濃い青の背景の上に荒っぽく太いブラッシュストロークが嵐のように吹き荒れている。風景とキャンバスの右上に月があることがかろうじてわかるが、それに恋人の2人が中央で宙に浮いている。まるで夢かココシュカの空想の中といったところだ。
男は目をしっかりと開いて眠っている女を優しく抱き寄せている。女の穏やかな表情とは対照的に、男は物思いに沈んで何か胸騒ぎを覚えているような顔をしている。
まったく性格が違った2人
気性の激しかったココシュカはウィーンのブルジョワ社会の規範に一石を投じてやろうとしていた一方で、「裕福な生活に慣れきっていつも男に囲まれていた30歳の女」だったアルマ・マーラーに恋をしていた。
2人は嫉妬と苦悶に満ちた3年を共に過ごし、最後にはアルマがココシュカを振って前の恋人の元に去って行った。
ところが第二次世界大戦が近づきニューヨークのアパートに逃れてきたときも、アルマは《風の花嫁》の小さな複製と一緒に移り住んだ。
「嵐や大波のまっただなかにいても信頼して彼にもたれる私をオスカーは描いてくれた。彼ならなんとかしてくれるだろうと私はすっかり頼り切っている一方で、オスカーは暴君みたいな顔で力を放って波を静めているの」
実は、2人の人物の描き方にそれぞれの気質が違うことをココシュカは示している。男は強く、短く、素早い筆致で描いている。一方、アルマの方はクラシック様式のなめらかで長い線を使い、彼女の体はほとんどかげろうのようである。
(以上 MUSEYより引用) https://www.musey.net/19316
アルマは大作曲家グスタフ・マーラーの未亡人で、若い頃から「ウィーンの華」として建築家グロピウスやグスタフ・クリムトらとも恋に落ち、当代のミューズとして名高い。そんなアルマに憧れて、バーゼルを訪ねた頃から、もう、何十年も経ってしまった。
こんなことが起こるだなんて、こんなふうに「いつでも行ける」と思っていた地に行けないことが起こるだなんて。
いつかまた、ウィーンやドイツ、イタリア、スペインを行脚してみたい。
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