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#4 ムスメと愛犬たち

決算処理の追い込みで数字と格闘してたら、数日経ってた…おつかれ、私。

そうこうしているうちにムスメの成人式の写真が仕上がってきた。お値段は張ったけど、大満足の仕上がり。なんといっても愛犬も一緒に写してくれたのがよかった!

その写真館を選んだ一番の理由がそれだったしね(笑) ということで、今日はムスメと愛犬について、書いてみよう。

私も旦那も大の犬好きながら、食べ物に関わる商売をしていて時間もなく、そしてウチの子はとっても個性的なお子達だったので、自制してきた。

転機は東日本大震災の衝撃。

私達の家でも1週間近く続いた停電と断水、めっちゃくちゃになった家。

そして電気が通じて初めて知った大津波。私にも何かできることはないかと考えて考えて・・・

辿り着いた答えが被災犬を迎えること。それまでも犬を迎えたくて保護犬のサイトなどをよく見てたから、情報は入ってた。
現地はとにかく混乱を極めていて保護犬を個々に迎えに行くのは迷惑になる。だから現地入りしていた千葉の保護団体さんから迎えることにした。団体さんのケージが1つ空けば、被災した犬を新たにもう1頭迎えることができるから。

小学校を刑務所くらいに思ってたムスメは、3つ上の兄ぃが卒業するとなると「私も学校終わり~!もう行かない‼」とまっすぐな笑顔で断言。

これは困ったなーというところだったし、前から子ども達も熱望していた犬を迎えることで何らかの起点になればと思った、というのもある。

なので犬を迎えるために協力することを子ども達とよく話し合って、それぞれ自分の役割をこなすことを約束した。そのおかげで…か、子ども達は無事卒業できた。

マリアという名がついたその大型犬は穏やかで寛容、とても賢い子だった。

誰に教えられたわけでもないのに、中学生になって帰りが遅い兄ぃの代わりに破天荒なムスメをよく見守り、まるで使役犬のようにいつでも静かに付き添ってた。

笑っているときは遠くで見守り、泣いているときは傍に寄り添ってくれた。

学校にお迎えに行くと、マリアは同じジャージを着た大勢の学生の中からすぐにムスメを見つけ出して、しっぽを大きく振った。それがムスメ発見の合図。

たくさんの笑顔や楽しい経験、お世話をする喜びや責任の重さを実感し、子ども達の心身は確実に成長した。

そして年老いたマリアは身をもって生き抜くことの大切さを教えてくれた。寝たきりになってからも獣医さんも信じられないというほど長生きして、介護のたいへんさや工夫することの必要性、それでも生きていてほしいと願う家族の気持ちを実感させてくれた。

マリアはムスメが目指してた看護学校の入学式の数日後、虹の橋を渡った。まるでムスメの成長を見届け、安心したかのように。。。

私たち家族は、初めて大切な家族の『死』を経験した。

マリアを失ったら私とムスメはどうにかなっちゃうんじゃないかと思っていたけど、それが意外にそうでもなかった。全力で向き合った達成感のような感情がそうさせたのかもしれない。その重要性までをも教えてくれた。

それから僅か2ヵ月足らずで今の愛犬に出会った。

マリアの時も反対したように今回も旦那は強く反対したけれど、私と子ども達の心はもう決まってた。旦那には「マリアへの気持ちはそんなものか」と言われたけど、全然そんなことないから、全く気にならなかった。

ニューフェースの愛犬はまるで赤ちゃん。まだ不完全で、愛情がわからない、不安だらけの赤ちゃんのよう。

頼れるお母さんのようだったマリアと真逆で、こちらが注意して見守らなくちゃ危なっかしい永遠の赤ちゃん。これまた年頃になったムスメには最高のセンセイなのです!

ムスメの学校には寮もあって入るように勧められたりしてるけど、愛犬に会えないのは嫌だそうで、お家から通ってるムスメ。いつまでも手元に置きたいわけじゃないけど、看護学校と一人暮らしをどちらもこなすのはムスメにはまだ難しいから。

THE アスペルガーと有名大学病院の主治医に言わしめるほど典型的で強めの個性の持ち主のため、とにかくお友達とうまくやれない。二十歳になるまで数回しかお友達(と呼ぶべき?)と遊んだことがないのに、やっぱり友達を渇望している。

そんなムスメがなんとかかんとかやってこれた理由の大きな一つは間違いなく愛犬たち。彼女らの無垢で、無尽蔵に注がれる愛情なくしては、今の成長したムスメの存在はありえない。

私個人としてはもちろん、母としても、愛犬たちには心から感謝している。

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