#7 自分で解決できないこと
少し空いたかなと思ったら、もう5日経ってるなんて。
忘れてたわけじゃないけど、ちょっと意気消沈してた。
生きてると、みんな、いろんなことがある。
自身の仕事や恋愛の行く末など、自分で決められることはまだ簡単な方だ。
厄介なのは、避けようがなく自分は解決できないこと。
子どものことや社会のこと、私の場合、抱えるスタッフのことなんかも。
子どもの場合、幼い頃はまだいい。いざという時はこちらの対処によって何とでも変えられるから。
それなりの年頃になってくると本当に如何ともし難くなる。
サッと抱っこして移動させ、わぁ~っと泣いたと思ったら眠って、起きたら忘れてる・・・なんてこともなく、利害関係があるわけでもないから駆け引きも功は奏さない。
それでも親である限り、いくつになっても子を心身共に健全に育てようと努める義務があると私は信じているので、しつこく何度でも繰り返し、どんなに煩がられても向き合い続けている。
生物学的にいっても最高レベルの重責を負っているわけだし、それによって辛い時もあるけれど、子どもと過ごしている中で、それ以上の喜びがあるのは間違いない真実だから。
仕事ではまた違う難しさがある。
職業選択の自由が謳われて久しいけれど、現実的には上司や部下との相性、お客様との関わり…キャリアや信頼、尊敬や愛情がプラスされると、なかなかどうにもアタマで考えた通りに動くのは容易ではない。
可愛がっていた部下がある日突然豹変したり、来ないってくらいなら、まだいい方で。
自分を慕ってくれる部下についての処遇が自分の想うそれとは違う場合、そしてそれがオメデタくない場合、どんなに我慢したって溜息が出る。会社都合による場合だと、さらに頭痛や不眠までプラスされる。
仕事の範囲内での責務と割り切れない昭和仕様の思考なので、不甲斐ない自分が残念になるし、部下の行く末を案じると不安になる。
とはいえいつまでも引き摺る訳にもいかないので、表面上、少なくとも自認している範囲では切り替えているはずなんだけど、何故か身体に症状が現れるんだよねー。。。
対して、自分のことなんて実にシンプルで単純明快だ。
自分の責任で、自分自身が取捨選択できるのだから。
ただそういうシンプルな生き方に迷いがない男前タイプな私でさえ、齢を重ねてくると、自身の判断だけで取捨選択できる可動域は狭くなった気がする。
それも『責任』という承認欲求に必要な要件の賜物なんでしょうけれど。
時を経て社会的にキャリアアウトしたら、またシンプルなライフスタイルを歩もうっと!
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