見出し画像

ペペシのアメリカ留学 その7😆✨

家庭内イジメから逃れ、同居のインディアンの男の子ともあっという間に仲良くなり、ようやく平穏な日常となりました😊

留学生活も、もう残りわずか4ヶ月。

学校を転校することも避けられましたし、これまでのことはリセットするんだ!と、なんとか前向きになろうとしていた矢先・・・


先生の家に引っ越して、わずか5日後だったと思います。

日本のインターナショナル・フェローシップから、学校へ直接電話がありました。

何の授業だったかは忘れましたが、突然授業中に呼び出されました。

向かったのは、新しいホストファミリーでもある先生の部屋。そこで、日本からの電話を受けました。



「新しいホストファミリーが見つかったから、すぐに引っ越してください」

😨
😨
😨?

「はぁーーーーーーーーーーー!?😱😱😱😡😡😡」


意味がわかりませんでした。

頭の中から考える力が一瞬にして吹っ飛びます。

残ったのは、、、怒り、、、という感情だけです。


自分で見つけていいと言ったじゃないか!

だから自分で探したんだ!

素晴らしい家族と一緒の生活が始まったばかり!

なんでそれを奪うんだ!


自分の中に「冷静」と呼べる要素は、かけらも残っていませんでした。

先生が横にいるにも関わらず、私は、どうしてだ!いいって言ったじゃないか!と、同じことを繰り返して叫んでいたのだと思います。


正直、何をどう叫んでいたのかは覚えていません。

記憶にあるのは、先生に「落ち着きなさい」と言われながら、我に返った自分自身です。

肩で息をしていました。


アメリカの本部と日本の間でどんなやり取りが、これだけ短期間の間にあったかはわかりません。

一つだけわかったのは、先生の家が、インターナショナルフェローシップという団体がお願いする、ホストファミリーの基準を満たしていなかったということ。

その基準は、お世話をしている学生がいないこと、というものでした。

つまり、先生がすでにインディアンの学生を受け入れていたことが、基準に引っかかり、そのままそこに私を置いておくわけにはいかない、ということだったようです。


今になって考えてみれば、私一人のために、団体もかなり慌ただしく新しいホストファミリー探しをしたのだろうと思います。

アメリカ本部と、日本支部の間でも、揉めていない訳はないと思います。

けれど、当時まだ18歳で社会の何たるかも知らない、まだ何ものでもない私には、そんな大人の世界の事情はわかりません。


そんな大人の事情で、結局私は、わずか一週間でまた荷物をまとめ、次のホストファミリーの家に向かいます。

残念なことに、転校、というおまけも付いていました。


つづく


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よかったらスキ、フォロー、コメントをいただけると、とても嬉しいです。
フォローは必ずお返ししますので、よろしくお願いします(^^♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?