見出し画像

真弥さんは幼い頃に実母を亡くした。母の記憶は全くなく、寂しさなども感じたことはなかった。父や祖父母が一心に愛情を注いでくれたからかもしれない。それが日常だった。けれどそんな日々に変化が訪れる。真弥さんが16歳の頃、父の再婚が決まったのだ。再婚相手はとても物静かで優しい人柄。香水だろうか?いつも金木犀の香りが漂う人だった。祖父母も喜び、すぐに家族と馴染んでいく。真弥さんからすれば継母だ。けれど幼い頃から「母」という存在に触れたことがない彼女にとって、受け入れ難いものだったそうだ。継母は年齢的にも子供を授かることは難しかった。それが理由で血が繋がりはなくとも、娘になる真弥さんへ献身的な態度を取る。けれども思春期の彼女にとって、それは鬱陶しいものだった。(今更、母親が出来てもな)毎日のようにそんな言葉を心の中で呟いていたそうだ。

継母は何とか真弥さんとの心の距離を詰めようと色々と努力していた。父の話ではいつか「お母さん」と呼んで欲しい。そんな気持ちがあったそうだ。それを聞いてしまうと余計にお母さんとは呼びづらい。仲が悪いわけではない。高校を卒業すると進学に託け、半ば強引に地元を離れた。継母の寂しがる表情が鮮明に記憶に残る。真弥さん自身、意固地になっていたことにも気づいていた。けれど社会人になっても、その関係は変わらない。

そんな日々が続いた後、継母が倒れ亡くなった。呼び出された時は既に遅く、あっという間の別れだった。涙は溢れても「お母さん」と言葉に出せない。葬儀を終え、骨壷に納められる骨を見てもだ。そんな自分を軽蔑した。
それから数年が経ち、真弥さんは結婚して子供を産んだ。ある日、幼い娘が初めて「お母さん」という言葉を口にした。真弥さんは飛び跳ねる程喜ぶ。だがすぐに娘の身体に纏わりつく香りに気づいた。それは金木犀の香りだった。金木犀の香る時期でもない。何故かわからぬが娘の身体に、継母が歓喜の表情で抱きついている気がした。
それからも娘は当然「お母さん」と口にする。しかしその度に娘から金木犀の香りが漂い、継母の気配を感じる。何を意味して現れているのか、それが薄気味悪く感じるそうだ。現在、その言葉は親子の間で禁句となっている。人の母となった今なら、「お母さん」と呼んでもらえぬ寂しさが分かる。真弥さんは継母にした酷い仕打ちを後悔している。


サポートして頂けたら、今後の創作活動の励みになります!