感覚を、上手く言語化すること。
今回の記事は、抽象度高めな文章です。
最近考えていることを少しアウトプットしてみようと思います。
最近、感覚で掴んだことを上手く言語化する難しさを感じています。
どのような分野でも、なんとなくこの方法でやると上手くいくことが多いな、と感じることがあると思います。
自分の成功パターン、と言ったようなものでしょうか。
「なんか上手く行ったかも!」が1回ではなく、その後も続いているな、と気づいたとき、それを上手く言語化できればな、と思うことが増えてきました。
言語化できれば、自分の中でもっと腑に落とすことができるし、もっと自分の武器になっていくと思うからです。
そして、その感覚は、今は自分の中だけにあるものなのですが、それを周りの人にもわかるように伝えることができれば、周りの人への学びにも繋がるのでは、と思っていて。
良いことはお互いに共有し合って、経験を分かち合って、周りの人に良い循環を作っていきたいな、と思うんです。
そして、もっと自分の成功パターンを磨いて、積み重ねていって、自分にしかできないことにしていきたいと思うんです。
と、今自分の目指していることを語ってみました。笑
これらの思いを踏まえて、よく私の中で浮かび上がる疑問であり、私の文章や言葉の特徴について、以下の問いに向き合いたいと思います。
「抽象的なものを具体的にする必要はあるのか?」
「言語化できないことを言語化する必要はあるのか?」
ということについてです。
これらについて、あえて具体化・言語化しない人もいるのでは、その人の特徴や、得意・不得意に合わせて、必ずしも全て具体化・言語化する必要はないのでは、と思うことがあります。
また、対面での会話のような状況で考えていくと、何かしらニュアンスが伝わると思うので、必ずしもクリアにする必要はないのでは、と思います。
自分がクリアにできなくても、相手がニュアンスを拾って言葉にして、クリアにすることができるかもしれません。
ニュアンス、という言葉の補足になるかもしれませんが、相手と同じ景色や絵を上手く描く必要があるのかな、と思っています。
クリアにできないなりに、想像力を膨らます、というところでしょうか。
そうすれば、その共通のイメージを通して、相手に何かしら伝えることができるのでは、と思います。
このようなことを考えながら、私の本心は、「言語化することによって頭の中を整頓したい」という思いが強いんだと思います。
最近、本を読むことについて、情報のインプットをしたい、ということの他に、「頭の中を整頓する」という目的から、本を読もうとしていたことにも気づきました。
何だかんだ、考えていることがいつもふわふわしているので、ふわっとしているものの正体をはっきりさせたいのかもしれません。笑
まずは自分のために言語化するのは間違いないのですが、最近はそれを周りの人にも役立てられればな、と思っているので、より「言語化」というキーワードを意識しているのでは、と思えてきました。
今までは「感情」の言語化を意識していたけれども、「感覚」の言語化についても、もっと意識していきたいな、と思っています。
感覚は、感情よりも言語化が難しいと感じていますが、それこそイメージを交えるなど、工夫して伝わるものにしていけたらな、と思っています。
また、私は相手のイメージを描くことは比較的得意なのかな、と思っているのですが、自分の状況を相手にイメージしてもらうことは、まだまだなのかな、と思う場面があります。
言語化は、私の積み上げていきたいものの1つでもあるので、言語化の修行を引き続き頑張っていきたいと思います。
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