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エド・シーラン、罪悪感のち母の幸せ

変なタイトルになってしまった。
許してほしい。
たぶんこれしか思いつかない。

去る1月27日土曜日、曇り空の下、かねてからチケットを取ってあったエド・シーランのライブに行って来た。京セラドーム。
遠くから来る人達は新幹線や飛行機、ホテルなどを取って本当にすごいと思う。
でも世界的なシンガーである彼をライブで一目見ようと思うならそれくらいは皆するであろう。

一方私はなんだか地の利が良いので最寄駅から10分、15分で着いてしまう。

私はツアーグッズというものに一切興味がないので、グッズ売り場はスルー。
今回はスタンド席なので、席を探す。
まあ割と簡単に見つかる。

円形のステージ。
外側が回転寿司みたいに回る仕掛け。
正面と何箇所かにエドが使うループペダル、マイクスタンド。
ふんふん、ドバイと同じやつやな。
毎回、このようなアーティストのライブで感心するのはこういうステージングだ。
各国を廻れば、国ごとに同じ電気と言うても
電圧ヘルツが違ったり、ソケットの形も違うのに
ちゃんと段取り出来る技術はすごい。
チーム、エド・シーランに最大級のリスペクトだ。

中央のモニターにカウントダウンの表示が現れ、3,2,1!バーン💥とエドが登場し、文字通り時間ピッタリにライブが始まった。

一曲目の「Tides」が始まった時、ああ、今日は弟夫婦が横浜から福岡の認知症両親の様子を見に行ってくれているのだと思い出していた。
両親2人が認知症になり、日常生活も困難が多い。今回は2人の資産や預金を家族信託という形で弟に引き継ぎたいと申し出る予定。

上手くいくかどうかはわからない。
たぶん上手くいかない可能性の方が高い。

それでも電話ではもう意思疎通が上手く出来ない2人には会いに行くしか手立てがない。

そんなことをチラチラ思いながら、罪悪感と共にその後はライブに没頭してしまった。
もっと詳しいライブの様子が知りたい人は何か記事でも見つけてください。

私は個人的に「shivers」、「Celestial」、アンコール一曲目の「You Need Me,I Don’t Need You」からの「Shape of You」の流れがとても良かった。文字通り痺れた。

帰り、ドームを出て、じわじわと余韻に浸りながら、こういうライブ、本当に久しぶりだなぁと感じた。やはり生の魅力はどんなに映像を見ても勝てない良さがあるなぁと。
エドに感謝やー!

そこでふと思い立った。

認知症になった母はこんなライブで心動かされた経験なんてないんじゃないかと。

私が知っている限り、母はライブどころかあらゆる舞台や、旅行、美味しい外食、そういうものとは縁がなかったように思う。

そういう時代だったといえばそれまでだが。

「推し」と言う言葉もなかったし、そんなにライブやコンサート、演劇などはポピュラーではなかったのかもしれない。

いや待て。
わたしが生まれた年にビートルズは来日しとるやないか。ぎゃー言うて失神してる女子も多数居たではないか。

地方の田舎の一児の母となった彼女にはそのニュースも見ていたはずだが、それはたぶん彼女にとって遠い外国の出来事だったのだと思う。

確かに私が子どもの頃は、演歌歌手や歌舞伎役者に入れ込んで、全国ツアーについて回る熱心な女性ファンも居た。
ただ世間的にはそれらはとても珍しい存在で、家庭を放り出して、旦那や子どもの世話もせずに好き勝手やっている変わった人達という認識がなんとなく共有されていたように思う。もしくはオールドミス(死語)の変な趣味とか。
少なくとも世界に向かって「京セラドームなう!今からEd Sheeranライブ参戦!」などと宣言するような時代ではなかった。

今ほど二次元キャラクターやアイドルグループ、ゲーム、声優さん、テーマパークなども充実していなかった時代だ。

そして母にはライブ観戦やスポーツ観戦、1人海外旅行、友達同士で週末香港、ヨーロッパ旅行、夫婦で訪れたハワイ、オーストラリア、タヒチのビーチリゾート。夜中まで踊ったクラブやディスコ、珍しい展示の美術館や博物館での鑑賞。おじさんに奢ってもらうめちゃ高いお寿司やイタリアン、おじさんに連れて行かれるクルーザーや各種パーリー、演劇といった私が散々バブル時代に、そしてその後にも経験したすべてのことを母は何一つ経験していないのだと思った。

最近はあまり景気が良くないし、私もそろそろ歳もとったので、それほどおじさんは気前よく奢ってはくれないが、今回のエド・シーランのライブチケット代は夫が私の誕生日プレゼントだと言って出してくれた。
やはり夫とておじさんであることは間違いない。

さて。

ここからが問題だ。

そういうライブや楽しいイベントを何一つ経験していない母は本当に不幸せなのか?と。

もし、私だったらそれはそれは悔しい経験だろう。歯噛みするほどに。

でも母は旅行なんか行かなくても父の転勤について西日本各地を転々とした。旅行などで訪れるのとは違い、その土地、その場所で生活をして、友達を作り、方言を覚え、慣習にいちいち感動していた。それはきっと今よりずっと目新しいアドベンチャーだっただろう。
子どもも三人恵まれ、今は福岡の日当たりの良いバリアフリーのマンションで父とぼやぼやと暮らしている。

幸い父方、母方の両親ともさっさと鬼籍に入ってくれたので介護の苦労はほとんどなかったはずだ。

私達から見るとあまりある老後の時間を父とのんびり過ごしているし、2人とも認知症なので案外幸せなのかもしれない。
今日喧嘩しても明日には忘れるし。

母の本当の気持ちはもう確かめる術はない。ただでさえ、読書習慣やアウトプットの習慣がない彼女が発する言葉は驚くほど少ない。
語彙力は幼稚園児並みに低い。
だから母が本当に何を思って(案外何も考えていないと思うが)何を幸せと定義しているのか、私にはもうわからない。

ただ私が感じているほど、ライブや旅行に行かずとも案外彼女の人生は幸せなのではないかと思えてくる。
近い将来、私のことがわからなくなっても彼女が幸せ感を感じながら生きているのであればそれはそれで一つの幸福と呼べる状態なのだろう。

弟達に感じた罪悪感を打ち消すために翌日は弟に電話をして、両親の様子を尋ね、少し愚痴にも付き合った。デイサービスの申し込みをしてくれたと言う。
お疲れ様。ありがとう。

お陰様で私もエナジーチャージ出来た。

幸せの形は本当に人それぞれ。
推し計ることしか出来ないが、決めつけるのだけはやめておこう。
そんなふうに思った寒い寒い真冬の夜。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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