とほほな遠距離介護 両親は認知症
11月9日、福岡の家で二人暮らしをしている両親の元に時々訪れて様子を見てくれているケアマネジャーさんから電話。
ちなみに両親共に認知症。要介護1である。
父、母と呼ぶと私は当然娘になるわけで、そうなると、親孝行や、子どもがしてやれる事、娘の務めなど、なんだかふんわりとした役割分担がその呼称にくっついてくるようなので、これからは父のことをキヨシ、母のことをセツコと呼ぶ。
ケアマネジャーさんの話によると、どうも二人が最近買い物に行っていない様子であると。冷蔵庫の中にはりんごしか入っていないし、洗濯物もきちんと干したりしていない、入浴もあまりしていない様子。毎日見守りサービスの人に1日2回来てもらっているので、買い物代行を頼むにしても家に現金がないと。
困った。
買い物などは最悪頼めるが、現金用意は本人達しか無理だろうし、あんなに好きだった買い物に行っていないとはどういうこっちゃ?
一度様子を見に行きますと新幹線で出発したのが11月13日月曜日。
ええい!事前に私が行くと知ったら日常生活取り繕われる可能性があるのでアポなし訪問で行くことにした。
実家に着くと、まず空気がどんよりしている。まぁ、年寄りあるあるで、あまり換気していないのだろうと思いつつ、家の中を少しずつチェックしてまわる。
パッと見て、キヨシ、セツコは二人共随分縮んでしまったように見える。痩せている。
相当痩せている。
肌はカサカサだし、抜けた前歯も二人とも放置している。
本人達、キヨシとセツコは思いがけない私の訪問をうきゃー!と、素直に喜んでいる。
それはそれでよろしい。
喜ばれなかったらこっちも困るわい。ふん!
ケアマネジャーさんに言われた冷蔵庫。
確かに何も入ってない。
ない!
何もない!
りんごが数個、誰かにもらったであろうものたち。おーいお茶の2ℓペットボトルとたぶん賞味期限切れの調味料が少し。
冷蔵庫には少しの冷凍食品とワカメ。これも貰い物だ。たぶん。
まさしく食べるものが何もない状態だった。
おかしい。
認知症あるあるで、同じものをたくさん買い過ぎる傾向にあったのに、どう言うこと?
まぁ、それでもこの時点でワタミの宅食が毎日来ていると信じていた私が甘かった。
後で聞くとそれもだいぶ前に解約してしまったらしい。
おい、君ら霞でも食って生きてたんか?と言う感じ。
そして食卓の上には使いかけのトイレットペーパー。ティッシュは?と聞くともうないからこれで代用していると。
歩いて3分のところにコンビニあるのにー!
なんか怪しい。
そして、台所の勝手口を開けた途端。
ぎゃー!!!!
おぞましい光景が!
カラスが突いた後と思われるプラごみがあたり一面に散乱し、それらの周りをブンブンハエが飛んでいる。
プラごみの下をおそるおそるめくると、ウジ虫がウヨウヨ!
そして生ゴミの入っているポリバケツを開けると、どろっどろの液状化した生ゴミが強烈な異臭を放っている。
腐乱死体?
なんじゃこりゃー!
きったねー!
ウゲェ!
えづきながらキヨシと二人で片付け作業。
とにかく昨日、今日のゴミではない。
何ヶ月も放っておかれ、西陽が燦々と降り注ぐ勝手口で腐敗しまくったゴミと格闘すること1時間。キヨシも私もクタクタ。
臭いし、服や靴に付いた臭いも取れないし、水を流して流して、ようやく元の状態に。
その間、セツコは知らんぷり。
手伝おうとも、謝罪しようともしない。
完全な他人事。
めちゃくちゃ腹が立って仕方ない。
でも起きてしまったことをいくら責めても仕方ない。せめて、これからはゴミの日は守って出すよう強く言う。
認知症で曜日の感覚が薄れているのは致し方ない。それでもこのゴミはやばい。
今年は夏からいきなり寒くなったのでご近所もあまり窓を開けていなかったのかも知れない。
いや、それにしても強烈過ぎる異臭だった。
よくご近所からクレームが来なかったものだ。
そして問題の食料だ。
とりあえず近くのイオンに行って食べられるものを買い込む。
キヨシを同行させてATMでお金を下ろす。
なんとか食べるものや日用品が揃った。
その日の夜は二人共、私が作った食事をあまり食べなかった。
次の日の夜も。
二人共胃が小さくなってなかなか食べ物を受け付けない状態になっていたのだろう。
3日目くらいからようやく二人が食べ出したので一安心した。
ところが。
私が着いた夜にキヨシが何度もトイレを往復して、尿がでないと。
二日目の夜、お風呂に入った後、ものすごい倦怠感を訴えて、仕方なく夜間救急外来へ。
応急処置でカテーテルを入れて尿を外に出す処置。
キヨシはスッキリしたと喜んでいたが、前の夜ほとんど眠れていない私とセツコが今度はクタクタ。
診断は「前立腺肥大症」。
まぁ、おじいちゃんの専売特許みたいな病気だわな。
明日もう一度、泌尿器科の診察を受けるようにと言われて病院を後にしたのが21:30。
翌朝、キヨシを伴って昨夜見てもらった病院を再度訪れる。患者の数が多く、待たされること1時間半。主治医はもう薬では治せる範囲ではないので、手術しか、方法がないと。
手術といってもカテーテルの先から小さな針を数本入れて、肥大している前立腺を中から水蒸気で焼き切る治療であると。
ただし、キヨシが認知症であるため、カテーテルを勝手に引き抜く可能性があるので、しばらくカテーテル生活が出来るか試してみようと言うことになった。カテーテルを入れられ、尿パッドと生活するキヨシ。ま、これもそのうち慣れるだろう。
キヨシのカテーテルは彼の性格上、痛い事はしないのでたぶん大丈夫だが、キヨシの入院中、セツコをどうするのかだ。
それが一番困る。
一人では置いておけない。
私が入院、手術の日(この時点で半月先)まで福岡には滞在出来ない。
詰んだ。
完全に詰んだ。
悲しい事にこの詰んだ状況を、キヨシもセツコもあまり把握していない。
つまりは私の頭の中でだけ詰んでいる状態だ。
うげー。
ケアマネジャーさんに相談すると、セツコはショートステイで預かってくれる場所があると。
それだ!
もうそれしかない!
急いで預かってくれるところを探してもらう事にした。
そして11月18日土曜日、15:00。
セツコ本人と私、ケアマネジャー、ショートステイ先の老人ホーム担当、見守りサービス担当、薬剤師を交えたショートステイ会議開始となった。
注意事項、服用している薬の情報、セツコの食物や薬アレルギーの有無、もしセツコに何か起こった時の連絡網。
キヨシの退院日がその時点ではまだ決まらない(というか、手術してみないと実際は決まらない)ので、キヨシの病院と連絡を入れて取りながらいつまでショートステイを続行するか調整してほしいとお願い。
あー、書いてて疲れて来た。
そして書類にサイン、押印。
キヨシの入院と同日にショートステイ先に入れるよう、段取り。
そして翌日11月19日日曜日。この日はあいにく日曜日で、近所のスーパーが混んでいるが仕方ない。この日しかおかずの作り置きを作る日がない。いっぱい食料を仕入れて来て、おかずを作る!作る!
鯛のあらだき。
手羽先塩焼き。
塩鮭。
ほうれん草とキノコのお浸し。
きゅうりとワカメ茗荷の酢の物。
筑前煮。
ビーフシチュー。
ブロッコリー塩茹で。
さつまいもレモン煮。
おでん(市販)
ひじき豆(市販)
パックご飯
フリーズドライのインスタント味噌汁
レトルトカレー
後は冷凍庫にすぐに食べれる麺類や冷凍チャーハンなどをぶち込み、食パン、バナナ、みかん、豆大福、おはぎなども買う。
トイレットペーパー、ティッシュ、各種洗剤、シャンプーやリンスの在庫、スポンジを新しいのに取り替え、キッチン、お風呂、トイレ、冷蔵庫の中、洗濯槽の中も全部掃除した。
とにかく認知症のせいなのか、元々二人がズボラなのか、どこも汚れていて食べるものやティッシュがなくても平気な生活をしているなんて。
そりゃ痩せるって。
前立腺肥大にもなるって。
何をするにも億劫なのか、物事を筋道立てて逆算して、今何をすべきかがもう判断できないのか、あるいはスーパーなどで、多くの食材や日用品の中から必要なものを選んで買うという行為自体が無理なのか、私には判断がつきかねる。
放っておくと、また同じ状態になるだろうなと言う事だけはわかる。
確かに、認知症でなくても家事は面倒だ。
もっと言えば生きることは面倒ばかりだ。
しかし、その面倒を家族の誰か、或いは家族全員で引き受けなければ生活はたちまち立ちいかなくなる。
面倒が嫌なら生まれて来ないのが一番面倒がなくていいのだ。
そして翌日、11月20日月曜日。キヨシの入院前検査。午前10:30に病院に到着したのに、採血、採尿、心電図、CT、レントゲン、診察とあちらこちらに振り回されて、麻酔医の説明聞いて、署名し、薬を処方されて、家に着いたのは15時を回っていた。
でも私にはやることがてんこ盛り。
明日になると今日の出来事をすっかり忘れてしまうキヨシの為に今日病院で言われたことをノートに起こし、サイン、押印する書類に全てサインさせ、日常生活で困り事があったらこことここに連絡するよう、指示を出してそれもノートに書いて、ようやく実家を後に。
16:30過ぎの新幹線に飛び乗って、クタクタに疲れて帰阪した。
あまり眠れていなかったこと、滞在中は判断しなければならない事や、やってしまうべき事が山積みで心身共にぐったりしながら、帰路を急いだのであった。
もうそろそろあの二人暮らしは限界だなと感じる。
今回は施設に入る事を説得しようと思って訪ねたのに、キヨシの前立腺騒ぎでそれどころではなくなってしまった。
まぁ、キヨシが無事退院してから、その事は考えよう。
そんなこんなでてんやわんやの遠距離介護日記となった。
私が滞在している間、キヨシもセツコも一回か二回しか入浴しなかった。
汚い年寄り達だ。
あの生活力皆無の二人をどうにか施設に放り込む算段をしなければ。
まだまだ道のりは長い。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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