静岡のウイスキーで中国に進出したい
『人民日報海外版日本月刊』 文/編集長 蒋豊
近年、100年の歴史を持つ日本のウイスキーは国際的なコンペティションで世界最高賞を受賞するなど、海外での評価が高まっている。経済発展を遂げた中国でも日本のウイスキーは人気があり、期間限定品が1本数千万円で取引されたことが以前話題になった。日本の大手酒造メーカーとは一線を画し、地域発の個性豊かなウイスキー造りに取り組むガイアフロー株式会社の中村大航代表取締役に、ウイスキーの魅力や中国進出の考えについて伺った。
人生をかけてウイスキーを造る
―― 社長は精密部品製造会社の代表から一転してウイスキー事業に参入し、2012年にガイアフロー株式会社を設立されました。どのような経緯があったのでしょうか。
中村 私の祖父が戦後、地元静岡・清水港の近くで精密部品の製造会社を立ち上げました。昔は各家に円盤がぐるぐる回るタイプの電力計というのがついていて、その部品をつくる仕事でした。
私の父が跡を継ぎ、さらに私が継いでいたのですが、何か新しいビジネスをしたい、直接お客様とつながり、販売できるものはないかと試行錯誤しましたが、なかなか見つかりませんでした。
そうした中、2012年にプライベート旅行で、スコットランドのウイスキー醸造所を見に行ったんです。すごい田舎の醸造所だったのですが、ベンチャー企業としてまだ数年しか経っていないのに、結構有名になっていました。
私はお酒大好き人間でしたが、お酒を仕事にしようと思ったことは一度もなく、その旅行自体も、憧れのウイスキーを造っているところを見たいという、単純に自分自身が楽しむ目的で行っただけでした。
ただ、最後に見たベンチャーの小さい蒸留所がとても印象的で、設備も不十分で人も少なく、しかも辺ぴな田舎でつくっているのに、世界中にウイスキーを販売している。これはすごいことだなと思いました。
そのときに、部品を作っている人は世の中にたくさんいるけれども、ウイスキーを造ろうという人は世界を見渡しても少ない。じゃあ、自分が人生をかけて何かをやるとしたら、ウイスキーを造ることだとその場で決意が固まりました。
地域の特性を活かした個性豊かなウイスキー
―― 2016年、御社の静岡蒸溜所で製造したウイスキーは、販売1日で完売するなど、日本全国のウイスキーファンから注目を集めました。日本には多くの有名なウイスキーメーカーがありますが、御社の特徴・強みは何ですか。
中村 当社はまだ設立したばかりの会社ですが、いろんな新しいことにチャレンジできます。日本語で「おたく」という言葉がありますが、ウイスキー大好き人間として、世界中のお酒を造っているところを100カ所以上見て回りました。
スコットランドだけではなく、フランスのワイナリーや、もちろん日本の酒蔵など、いろいろお酒を造っているところたくさん見て回って、自分が行きたくなるような、行って楽しいと思う場所をつくりたいと思い、頭の中に浮かんできたビジョンをそのまま形にしています。特に地域性を重視し、静岡でしかできない味わいをつくろうと考えています。
例えば先ほどご覧になられた発酵タンクですが、地元の杉を使って作ること、薪を使ったバイオマス燃料でウイスキーを造ることも、今の時代に誰もやっていないので、あえてこの地域の森林資源を活かすことで、ほかではできない味わいのウイスキーができるのです。
また、ウイスキーには伝統があり、それなりのつくり方をしないと、美味しいウイスキーは造れません。日本酒やワイン、ビールや焼酎の造り方でウイスキーを造ってもおいしくはできないのです。当社はウイスキーの造り方をしっかりと追求した上で、静岡独自の個性を出すことを考えています。
日本のウイスキー文化を世界に広めたい
―― 中国では、消費機会の増加やミドルクラスの急拡大でウイスキー人気が高まっており、日本の酒やウイスキーも大変有名です。ウイスキーの魅力について教えてください。
中村 先ほど見ていただいたテイスティングルームに掛け軸がかかっていたと思いますが、そこに書かかれている言葉は「我忘吾」です。日本の有名な画家が書いたものですが、ウイスキーを飲んだときの私の無の境地ですね。ただ単に自分自身の存在がウイスキーを感じるだけになるという、その無の境地を表現している言葉だなと感じて、あそこに飾っています。
そういう状態にしてしまうぐらいウイスキーというものは、私にとっては美味しいものなんです。飲んだときに気持ちがいいというか、心地よい状態にしてくれるのがウイスキーの魅力なので、なかなか言葉で表現するのは難しいです。
日本は明治維新で積極的に西洋の技術を取り入れたわけですが、スコットランドで産業革命が起きたときも、いろんな技術が日本に入って来ました。ウイスキーもその一つです。
大正時代に、NHKの朝ドラ「マッサン」の主人公で有名になった、「日本のウイスキーの父」と呼ばれている竹鶴政孝さんが、スコットランドに行ってウイスキーの蒸留技術を学んで帰ってくる。それでウイスキーが日本に普及するわけです。
私の祖父は海軍にいたのですが、1930年にイギリスに駐在していました。当時、スコットランドで造られた船を日本は買っていました。1年半ぐらいロンドンにいたらしいのですが、そのときにスコットランドにも行っているのです。きっと私の祖父も、そこでウイスキーを飲んでいたはずなんです。歴史的な経緯も含めて、日本に伝わってきたものが、今も生きているわけです。
スコットランドでは現在、造船業はすでに残っていないのですが、日本ではいまだにスコットランドで造られた造船用のクレーンなどがまだ稼働しています。スコットランドの産業革命で100年前に大きく発展した地域が今、何をもって発展しているかというと、ウイスキーなんです。私はスコットランドに日本の未来を見たのです。
伝統文化を一つの産業としてつくり上げ、育成し、それをいかに海外に広めていくのかを考えたときに、ウイスキーは素晴らしいお酒なんだということに改めて気づいたわけです。
中国市場は良質のウイスキーを求めている
―― イギリスの酒造メーカーが、2023年の完成を目指し、中国で高級酒愛好家向けに同社初のウイスキー蒸留所を建設するとの報道がありました。中国のウイスキー市場をどう見ていますか。
中村 1990年代の初めに上海に行きました。その頃はまだ開発が進んでいない時代で、虹橋の空港なども小さかったですし、道路も舗装されていない状態でした。高層ビルも片手で数えるぐらいしかなく、古びた和平飯店の食堂から何もない浦東を眺めていました。
それから10年ほど経って久しぶりに上海に行ったら、見違えるほど発展していて驚きました。2010年頃には、世界でも有名なウイスキーコレクターが上海や北京にいて、これから中国がウイスキーの世界でも発展していくのだろうと感じてはいました。
実際に今、中国の方々が日本でウイスキーを仕入れて本国で販売しているということがニュースになっています。日本も昔、スコットランドを始め世界中で良質のウイスキーを探し回り、買い付けていた時代があったわけですが、今では中国の方がそういうことに対して積極的だと思っています。
美味しいウイスキーで中国市場に進出したい
―― 今後の社長の夢、そして中国市場進出についてお聞かせください。
中村 本当に美味しいウイスキーをつくっていくことが私の夢です。近年、海外のコンペティションで日本のウイスキーが賞を取るようになりました。本場のスコットランドでも日本のウイスキーが販売されるなど、どんどん評価が上がっています。
日本のウイスキーはすでに100年の歴史がありますので、一つの文化だと思います。私たちはこのウイスキー文化をさらに育てていく必要があると思いますし、その価値を海外の方々に見出していただきたい。
例えば地球の反対側のブラジルの海岸で、静岡のウイスキーを飲んでいる人がいるというような光景が見られるようになったらうれしいなと思いますし、自分自身、静岡ならではの味わいある美味しいウイスキーになったなと思えたら、基本的には満足です。
今後、中国でも販売する可能性は十分あると思っています。すでに少しですが、海外にも輸出しています。中国本土で当社のウイスキーを販売したいと言ってくれる企業もあるのですが、今は出荷できる量が限られていて、日本国内でさえもまだ十分に供給できていません。
これから何年かかけて出荷量を増やし、地元静岡をはじめ日本国内、それから海外にも販路を広げ、中国という大きな市場に進出したいと思っています。ウイスキー造りは時間がかかるので、時間をかけてやっていくことになると思います。
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