いつか大きくなった君に、僕の夢について教えてあげるその日のために
平日の夜、仕事を終えて「ただいまー」と帰宅すると、リビングから5才になる息子がタタタっと駆けてきて、あーん、と大きく口を開けた。
「パパみて! はがぬけたの!」
たしかに、下の前歯が一本、ない。少し前から「ぐらぐらする」と言ってはいたが、とうとう抜けたのか。
「やったじゃん。楽しみにしてたもんね」
「コト、は、ぬけたー! やったーっ!」
息子は、じぶんのことを「コト」と呼ぶ。
下の名前の「ことば」のうち、2文字をとって、コト。
「これでコト、おとなになる?」
妻が言うには、保育園では、歯が抜けると周りの子から「見せて見せて」と人気者になるらしい。誕生日が早めの子を中心に、すでに何人か歯が抜けているそうだ。うちの子は、順番的には、クラスでちょうど真ん中くらいだろう。
「そうだね。すぐに、大人の歯が生えてくるよ。楽しみだね」
「うん!」
僕への報告を終えて満足したのか、コトはタタタっと、玄関に駆けて来たときと同じ足音を立てて、リビングに戻っていく。いつも思うが、この子は足音まで可愛い。
***
手を洗ってリビングに向かうと、妻がキッチンから顔を覗かせた。
「コトくん、歯が抜けたねー。見た?」
「見た見た。どんどん大きくなるね」と、僕は応じる。
「今日は保育園で、”将来の夢”を発表したんだって。もしユーチューバーとかお笑い芸人になるとか言い出したら、ちゃんとパパ、応援できる?」
ちなみにYouTubeでおもちゃを紹介する動画を見たり、アメトークの運動神経悪い芸人なんかが、コトくんの最近のお気に入りである。
「悩ましいけど、まぁ、この子は可愛いから成功する気もする」
「えー、親ばかー」と妻は笑った。
5才、か。
すっかり大人になってしまった僕と違い、この子はまだまだ、可能性のカタマリである。これからきっと、何だって出来るだろう。
まぶしい。なんならキラキラと輝いて見える。ユーチューバーでもお笑い芸人でも、なんでもどんと来い。僕は父親として、この子が夢を叶えられるよう、なんだって応援するぞ、と心に決めて言った。
「コトくんはさ、将来の夢はなにかな?」
「ん? ゆめ?」
リビングでプラレールのレールを組み立てていた息子が、こちらを振り返った。僕はもう一度、聞いた。
「コトくんは、大きくなったら、何になりたいのかなー?」
「コトはねー、おおきくなったら、れーしんぐかーになる!」
「……レーシング、カー……?」
妻がキッチンで吹き出すのが、視界のはしに見えた。
「そう! れーしんぐかー」
「……レーサー、じゃなくて?」
「ちがうよ! れ え し ん ぐ か あ、だよっ! パパ、ちゃんときいてよね!」
すごくゆっくりと、丁寧に、もう一度言ってくれた。やっぱりレーシングカーだった。僕はめっちゃ笑っている妻を見た。
「どうしよう、このパターンも応援すべきかな」
「とりあえず、速く走れる靴でも買ってあげたらいいんじゃない?」
「なるほど」
そんな会話をしていると、コトが、「パパは? おおきくなったら、なにになる?」と聞いてきた。
「え?」
僕が、大きくなったら?
「コト、わかるよ! おしごとのひと?」
コトは、僕の格好を指さして言った。スーツに、ネクタイ。お仕事の人、か。僕は苦笑した。
「お仕事の人。そうだね、コトくんせいかーい」
「やったー!」
にこにこと、コトが笑う。
そんな様子をキッチンから見ていた妻も、笑顔で言う。
「ご飯、もうすぐ出来るからね」
***
いつか君に、今度はちゃんと教えてあげよう。もう少し大きくなったら、きっと教えてあげよう。
僕の夢はね、こうやって『大好きな奥さんと可愛い君と一緒に、楽しくて仕方ない日々を過ごすこと』だったし、そしてその夢は君のおかげで、毎日叶い続けているんだよ、と。
そんな気持ちをどこかに、ちゃんと書き残しておこう。いつの日か、大きくなった君に、僕の夢について教えてあげる、その日のために。
***
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