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「ラーケーション」なる言葉に感じる胡散臭さ

 今、学校では「ラーケーション」なるものが導入されているそうです。

「ラーケーション」とはlearningとvacationを組み合わせた造語。
 この「ラーケーション」なるものによって、平日生徒が家族旅行などで休んでも欠席にはならないというシステムだそうです。
 
 欠席扱いにならず、平日家族と旅行するというのはとても素晴らしいことだと思います。
 日本は会社でも学校でも休みにあまり柔軟性がないので、「ラーケーション」なるものによって親と子供の予定が合いやすくなります。
 学校の勉強や会社の仕事のことはひとまず忘れ、心おきなく旅行を楽しむことができる…………。

 と思いきや、どうやら「ラーケーション」は「学びながら」(笑)旅行を楽しまなければいけないそう。
 上記の記事ではこのように書かれています。

子供の学び(ラーニング)と、保護者の休暇(バケーション)を組み合わせた、平日だからこそできる学校外での学習活動

 たとえ休みであっても、「学ぶこと」(笑)は忘れてはいけない。
 これがとても胡散臭い。
 何が胡散臭いかってこれ、ただ休みために口実をつけているだけなんですよね。
 
 そもそも平日に旅行をするにしても学校に「来週旅行くんで3日休みます!おねしゃす!」と連絡を一本いれればいいものを「ラーケーション」なるものを実施しなければ休むことができない。
 学校という枠組みだけでなく、日本社会がいかに休みを取りづらいかがわかります。
 だから、「休んでいる時でも学んいますよ」という「学んでますアピール」をしなければいけない。
 休みの日でも「学んでいる感」を出すことで、ただ休むことの踏み深さを緩和しているだけなのです。

 というか、小学生が休暇、特に旅行での休暇で学ぶようなことなんてしないでしょう。
 「旅行先の旅館の温泉の成分がわかって学びになりました!」とか「動物園で見たサルの生態系を学ぶことで理科についての勉強になりました!」なんて言う小学生はあまりいないでしょう。
 いるにしてもIQが170ぐらいの超絶知能が高い子ぐらい。
 そうでない圧倒的多数の子供は「楽しかった!」で終わるのではないでしょうか。

 にもかかわらず「ラーケーション」なるものによって「学んでいます感」(笑)を演出しなければいけなくなるので、子供が大人たちの茶番劇に突き付き合わされることになってしまう。

 既に述べましたが「ラーケーション」という言葉から、日本社会が「ただ普通に休むこと」に不寛容なことがわかります。
 勤勉な大日本人は四六時中忙しくしていなければならないのです。
 
 


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