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第2章(2)「理解する」とは

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「理解」は勉強する上で、とても大切な要素です。教材を選ぶ時は「理解」が重要な指標になります。学校の授業を聞く時、分からない箇所を乗り越える時、新しく自分で学習する時も常に「理解」を中心に進めることが大事です。なぜなら前述したように勉強は連続性であるため、理解できない箇所が苦手意識の種となり、知らないうちに大きく育ってしまうからです。中学校までは数学が得意だったのに、高校から苦手になる話をよく聞きます。これこそ不十分な「理解」がもたらす典型的な結果です。得意科目を一気に苦手科目に変えてしまうほど「理解」は大きく影響するのです。

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ただ、自分が理解しているかどうかの判断は容易ではありません。数値で表せる客観的な指標がないからです。確かにテストは「点数」という数値で評価できます。しかし単純暗記でも回答できる場合もあるので、「テストで点をとる=理解している」とは言えません。

従って、「理解が大事」と言う前に「自分が理解しているか判断する」方が重要であることがわかります。後者がなければ全ての「理解」は虚像にすぎないからです。そこで、ここでは「自分が理解している状態」について触れておこうと思います。

※注意※
実際、「理解」への解釈は人それぞれ異なります。ただ理解した状態を自身が把握できるのであれば、解釈に違いがあっても良いです。私も3つほどの解釈があるので、その中の1つをご紹介しようと思います。

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「理解」は二つに分けることができます。自覚的理解と他覚的理解です。
自覚的理解とは「自分が納得する」ことを言います。多くの人が普段使う「理解」は自覚的理解を示します。他覚的理解とは「説明をして人が納得する」ことを言います。これはテストや問題集などの問題を解くことでも代用できます。
人は次の①②③を繰り返すことで深い理解(本当の理解)へ到達できます。

①自覚的理解をする
②他覚的理解で自覚的理解とのズレをチェックする
③自覚的理解と他覚的理解のズレを修正する

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しかしこの時点ではまだ「理解した気になっている」状態も含まれています。

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そこで他覚的理解を利用します。例えば人に何か説明する時、多くは自分が納得した範囲内(自覚的理解の範囲内)で説明します。当然この説明で、納得する人もいれば、納得せず逆にいろんな質問をしてくる人もいます。前者であれば自覚的理解は他覚的理解をカバーしており、自分は十分に理解していると判断できます。しかし後者の場合、相手が納得するための情報が不十分だったことになります。すなわち、「自覚的理解では他覚的理解をカバーしきれていない=十分に理解していない=理解した気になっている」と判断できるのです。

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そして聞かれた質問について、勉強し直して回答する(追加情報を与える)と相手は十分な情報を得て初めて納得します。と同時に、この過程で不十分だった自分の理解(自覚的理解)も更新されます。つまり自覚的理解と他覚的理解のズレが修正され、「深い理解に達した」ことになるのです。

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また、この過程はテストや問題集などでも行うことができます。テストや問題集の問題を解く時、最初は自覚的理解の範囲内で挑みます。でもうまく解けません。この時初めて、自覚的理解と他覚的理解の差を把握します。そしてズレを埋めるために再度勉強し、他覚的理解の領域を埋めることで深い理解に到達することができます。

以上をまとめると「自分が十分に理解している状態」とは「自分と他者を納得させるほどの深い理解をしている状態」と言えます。全ての内容に、「深い理解」を求める必要はありませんが、普段からどの程度自分が理解しているか意識するのは大切です。

もちろんいつも人に説明するのは困難です。ただ、何度も実践をくりかえすと、どれほどの自覚的理解であれば「他者を理解させることができるか」が分かります。そうなると、自覚的理解の段階で他覚的理解とのズレを最小限に抑えることが可能となり、毎回人に説明しなくても「十分な理解(深い理解)」まで到達できるのです。

以上が、「理解」に対する私の解釈です。自分の理解度が判断できると、勉強にメリハリが生まれ、効率の良い学習が可能になります。従って、早いうちから「自分の理解」に向き合い、自分なりの理解度の判断基準を定めておきましょう。

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